「聖」

白川静『常用字解』
「会意。耳と口と𡈼ていとを組み合わせた形。𡈼はつま先で立つ人を横から見た形。口はᄇで、祝詞を入れる器の形。𡈼の上に大きな耳をかいて、聞くという耳の働きを強調した形である。祝詞を唱え、つま先立って神に祈り、神の啓示を聞くことができる人を聖といい、聖職者の意味である」


[考察]
図形的解釈をストレートに意味とするのが白川漢字学説の全般的な特徴である。耳+口+𡈼→祝詞を唱え、爪先立って神に祈り、神の啓示を聞くことができる人(聖職者)という意味を導く。
耳と口は明らかに人体の一部であるのに、口をわざわざ祝詞を入れる器とするのは、聖職者(宗教人)の意味を導きたいためであろう。そもそも祝詞を入れる器とは何なのか。祝詞は口で唱える祈りの文句であり、言葉(聴覚言語)である。これを器に入れるとはどういうことか。祈り事を簡や帛に書いたのであろうか。口で唱えればよいものをわざわざ文字化して器に入れるだろうか。理解し難いことである。
字形から意味を引き出すのは無理である。まず意味を尋ね、その意味がどのような工夫で造形されたかを考えるのが正しい字源説である。では意味はどこにあるのか。言葉が使われる具体的な文脈にある。古典における使い方こそ意味である。 聖は次の用例がある。
①原文:皇父孔聖 作都于向
 訓読:皇父は孔(はなは)だ聖なり 都を向ショウに作る
 翻訳:皇父はとても知恵があり 都を向[地名]に作ります――『詩経』小雅・十月之交
②原文:何事於仁、必也聖乎。
 訓読:何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か。
 翻訳:[民衆を教える人は]仁者どころではない。きっと聖人だろう――『論語』雍也

①は理解力が速くて賢い(知恵がある)の意味、②は優れた知恵と高い徳をもつ人の意味である。これを古典漢語ではthieng(呉音でシヤウ、漢音でセイ)という。これを代替する視覚記号として聖が考案された。
古人は「聖は声なり、通なり」と語源を捉えている。thiengという言葉は声や聴と同源で、「まっすぐ通る」というコアイメージがある。このコアイメージを表すためにAという記号が選ばれた。Aは聽(=聴)のほか呈・徴・廷などにも含まれており、「まっすぐ」「まっすぐ通る」というイメージを表すための重要な記号である。
聖は「𡈼(テイ)(音・イメージ記号)+耳+口(ともにイメージ補助記号)」と解析する。𡈼は人がまっすぐ背を伸ばして立つ姿を描いた図形で、「↑形にまっすぐ」というイメージを表す記号である。「↑形にまっすぐ」は垂直のイメージだが視点を水平に変えると「→の形にまっすぐ」「まっすぐに通る」というイメージにもなる。また空間的イメージは心理的・精神的なイメージにも転用できる。かくて聖は声(言葉)がよく耳に通っていって、物事をすばやくとらえる状況を暗示させる図形。この図形的意匠によって上の①の意味をもつthiengを表記した。