「静」
正字(旧字体)は「靜」である。

白川静『常用字解』
「会意。青は青丹からつくる青色の絵の具で、器物を聖化するのに用いられた。爭はこの字の場合は力(耒すきの形)を爪(手)で持つ形。耒を青色の顔料で祓い清める儀礼を靜という」

[考察]
青と靜は明らかに音のつながりがあるから形声のはず。白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。青(青色で器物を聖化する)+爭(耒を手で持つ)→耒を青色の顔料で祓い清める儀礼という意味を導く。
青色の絵の具を器物の聖化に用いるとはどういうことか。そもそも器物の聖化とはどういうことか。また鋤を青色の顔料で祓い清めるとはどういうことか。証拠のない習俗を根拠にして、靜を「耒を青色の顔料で祓い清める儀礼」とするが、靜にそんな意味があるだろうか。あり得ないだろう。意味とは言葉が文脈で使われる際の、その使い方である。靜は次の用例がある。
①原文:靜言思之 不能奮飛
 訓読:静かに言(ここ)に之を思へば 奮飛する能はず
 翻訳:じっと思いをひそめれば [鳥のように]飛び立てないのが恨めしい――『詩経』邶風・柏舟
②原文:以靜待譁。
 訓読:静を以て譁を待つ。
 翻訳:[攻撃するには]静かな状態の味方の軍でもって、騒がしい状態の敵軍を待つのがよい――『孫子』軍争

①はじっと落ち着いて動きがない意味、②は物音がなくひっそりしている意味である。これを古典漢語ではdzieng(呉音でジヤウ、漢音でセイ)という。これを代替する視覚記号として靜が考案された。
靜は「青(音・イメージ記号)+爭(イメージ補助記号)」と解析する。青は「生(草の芽)+井または丼(井戸の中の水)」という二つの物のイメージを合わせて、「汚れがなく澄む」というイメージを作り出した記号である(1021「青」を見よ)。水に焦点を置くと、汚れが下に沈み、上澄みが上に出た結果が「澄む」という状態である。したがって「澄む」というイメージは「(下に沈んで)じっと落ち着いて動かない」というイメージにつながる。
爭については929「浄」ですでに述べたが、もう一度振り返る。爭は「爪(下向きの手)+丿(引っ張ることを示す符号)+又(上向きの手)」を合わせたもの。上下の手で互いに反対方向に引っ張り合う情景を設定した図形である。この意匠によって「二つの力が←の方向と→の方向へ引き合って張り合う」というイメージを表すことができる。このイメージから「あらそう」の意味が実現される。一方、←・→の形の中間に視点を置くと「バランスが取れて釣り合う」というイメージに展開する。物体において二つの力が釣り合うと、落ち着き止まる。「じっと落ち着いて動かない」というイメージが生まれる。青も爭も同じようなイメージをもつ。
かくて靜の図形的意匠が明らかになる。靜は引き合う力が釣り合って、じっと落ち着いて動かない状況を暗示させる図形である。この図形的意匠によって上の①の意味をもつdziengを表記した。
①も②も日本語の「しずか」に対応する。日本語の「しづか」はシヅム(沈)と同根で、「下に沈んで安定しているさま」が原義で、ここから「落ち着いているさま」、さらに「音などがやかましくないさま」に展開するという(『岩波古語辞典』)。古典漢語の靜と同じである。
白川は「しずか」への転義について、「農具を祓い清めることによって耕作のやすらかなこと、やすらかな実りを願うことから、すべて“やすらか、しずか” の意味に用いる」と述べているが、言葉の自律的な意味展開ではなく、確証のない言語外の習俗から説明している。説得力がない。