「昔」

白川静『常用字解』
「仮借。うすく切った肉片を日に乾かした乾肉の形で、腊(ほじし)のもとの字である。“きのう”のことを疇昔のようにいい、それより仮借して昔は時の関係を示す語となった」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では会意的に説明できず、仮借説に逃げた。字形と意味の関係に説明がつかない時は仮借説が取られることが多い。これは言葉という視点がなく、言葉の深層構造を捉えようとしないからである。言葉の深層構造を探求すれば仮借説は必要がない。その際の鍵になるのがコアイメージという概念である。
まず昔の古典での用例を見、意味を確かめる。
①原文:昔我往矣 楊柳依依
 訓読:昔我往きしとき 楊柳依依たり
 翻訳:むかし[戦に]行ったとき ヤナギはしなだれていた――『詩経』小雅・采薇
②原文:昔者疾、今日愈。
 訓読:昔者(きのう)疾(や)めり、今日愈(い)えたり。
 翻訳:きのうは病気だったが、きょうは治った――『孟子』公孫丑下

①はむかしの意味、②はきのうの意味で使われている。これを古典漢語ではsiăk(呉音でシャク、漢音でセキ)という。これを代替する視覚記号として昔が考案された。
昔は㫺が崩れた字体である。「𠈌+日」に分析する。𠈌はいくつも上に重なるというイメージを示す記号である(独立字ではない)。「𠈌(イメージ記号)+日(限定符号)」を合わせたのが㫺で、日数が上に(前に)重なる状況を暗示させる。「前に重なる」という時間的イメージを上に重なるという空間的イメージで表現した図形である。この図形的意匠によって、久しくたった時(むかし)を意味するsiăkを表記した。
前に多くの時間が重なった状態は「むかし」であるが、今日という時間の前に重なった昨日もsiăkという。これは①からの転義である。