「跡」

白川静『常用字解』
「形声。もとの字は迹に作り、されに古い字形は𨒪に作り 、音符は朿せき。朿は目印として立てる木の形。亦は朿の誤った形であるから、朿と音・意味の関係はない。行動の印として朿を立てることを𨒪といい、𨒪を立てたその“あと”の意味となる。跡は“あしあと”の意味の字として作られた」

[考察]
「行動の印として朿を立てること」から、𨒪(行動の印?)を立てた「あと」の意味になるという。行動の印のあととは何のことか。足跡は地面に印された跡形であるから、実体があるが、行動の印のあととはどんな実体か。 意味不明である。
𨒪 が跡の古字(つまり同字)と言いながら、跡は「あしあと」の意味の字という。二つの関係が結局わからない。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。朿を目印として立てる木という実体から会意的に解釈しようとすると、行動の印として木を立てたあとといった意味が出てくる。しかしこんな意味はあり得ない。 意味とは具体的な文脈で使われて初めて意味と言える。文脈がなければそれは空想的な(架空の)ものでしかない。
迹と蹟は異体字で、跡は迹の限定符号を入れ換えてできた字である。これら三字は異体字で、蹟が古い。古典に次のような用例がある。
①原文:念彼不蹟 載起載行
 訓読:彼の不蹟を念へば 載(すなは)ち起ち載ち行く
 翻訳:無理無道の人を思うと 居ても立ってもいられない――『詩経』小雅・沔水
②原文:獸蹄鳥迹之道交於中國。
 訓読:獣蹄鳥迹の道、中国に交はる。
 翻訳:[大洪水の時代]獣のひづめや鳥の足跡のついた道が国中に交錯した――『孟子』滕文公上
③原文:欲觀聖王之跡。
 訓読:聖王の跡を観んと欲す。
 翻訳:聖王の事跡をつぶさに見たい――『荀子』非相

①は筋道に従うの意味だが、足跡からの転義である。②は足跡の意味。③は物事のあった跡形の意味だが、これも足跡からの転義。古典漢語では足跡をtsiak(呉音でシャク、漢音でセキ)という。これを代替する視覚記号として蹟、また迹・跡が考案された。
蹟は「責(音・イメージ記号)+足(限定符号)」と解析する。責は朿がコアイメージを提供する記号である。朿は刺(とげ)である。その形態的特徴からᐱᐱᐱᐱの形、「ぎざぎざに重なる」というイメージがある(1051「責」を見よ)。重なる形は▯・▯・▯・▯ の形でも表せる。視点を変えればこれは「点々とつながる」「点々と続く」というイメージにもなる。蹟は地面に踏んづけて▯・▯・▯・▯の形に点々と続く足の跡形を暗示させる図形である。
次に迹は「亦エキ(音・イメージ記号)+辵(限定符号)」と解析する。亦は大の字に立つ人の両脇に点をつけた図形で、「同じものが▯・▯の形に間を置いてもう一つある」というイメージを表す記号となる。▯・▯の形が連鎖すると▯・▯・▯・▯になる。これは「点々と(数珠つなぎに)つながる」「点々と続く」というイメージである。辵は歩く・行くことと関係があることを示す限定符号である。したがって迹は歩いて地面につけた、点々と続く足の跡形を暗示させる。限定符号を辵から足に替えて跡の字体も生まれた。