「前」

白川静『常用字解』
「会意。もとの字は歬、あるいは歬に刀を加えた形に作り、止と舟と刀とを組み合わせた形。止は足あとの形、舟(月)は盤の形。盤中の水で足(止)を洗い、さらに刀(刂) を加えて足指の爪を切り揃えることをいう。前が“すすむ、まえ”の意味に用いられるようになって、前にまた刀を加えて剪(きる)となり、手を加えて揃(きりそろえる、そろえる)となった」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなくすべて会意的に説く特徴がある。会意とはAの意味とBの意味を足し合わせた「A+B」をCの意味とするもの。前を「止(足)+舟(盤)+刀」の三つに分けてそれぞれの意味を足すが、これから「盤中の水で足を洗い、足指の爪を切り揃える」という意味が出るだろうか。また、この意味から「すすむ、まえ」の意味になるだろうか。意味展開に必然性がない。
字形から意味を引き出すのは無理である。というよりも誤った方法である。意味とは「言葉の意味」であって、字形から出るものではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。前は古典に次の用例がある。
①原文:孔子下車而前。
 訓読:孔子車より下りて前(すす)む。
 翻訳:孔子は車から降りて進んできた――『荘子』盜跖
②原文:日之方中 在前上處
 訓読:日の方(まさ)に中するとき 前の上の処に在り
 翻訳:太陽がちょうど真上にさしかかり [踊り手は]前列のいちばん上の場所にいる――『詩経』邶風・簡兮

①はまえに進む意味、②は人体が正面を向いて進む方向(まえ)の意味である。これを古典漢語ではdzan(呉音でゼン、漢音でセン)という。これを代替する視覚記号しとして前が考案された。
『説文解字』に、贊(=賛)を構成する兟について「兟シンは進なり」とあり、また、前を構成する歬について「歬ゼンは行かずして進む、之を歬と謂ふ」とある。兟と歬は実は同じ歩行法である。「行」は止まらずにまっすぐ行くことであるが、「行かずして進む」というのは、一旦止まってから再び進むことである。一方、兟は先(足先)を二つ並べた図形で、両足を揃えた歩き方を暗示させる(675「賛」を見よ)。前に進む際、一旦両足を揃え、次に片足を前に踏み出し、その次に別の片足を揃える。兟はこのようなステップで進む歩行法である。前も兟と同じ歩行法である。これは儀式ばった歩行法である。前は兟・賛と同源の語で、「そろえる」というコアイメージがある。
次に字源を見る。前は「歬ゼン(音・イメージ記号)+刀(限定符号)」と解析する。歬は「止(足)+舟(ふね)」に分析する。きわめて舌足らず(情報不足)な図形で、何とでも解釈できるが、語源を念頭に置く必要がある。語源は「そろえる」というコアイメージである。止は足(foot)であるが、足の機能は「止まる」と「進む」の両面を併せもつ。だから相反する二つのイメージを表している。舟は進む工具で、比喩として使われる。「止(イメージ記号)+舟(イメージ補助記号)」を合わせた歬は、前方へ進んでは止まるという状況を暗示させる。一旦止まる際に左右の足をそろえる。止まって足をそろえてから再び進む。これが『説文解字』にいうような「行かずして進む」という歩行法である。ここに「そろえる」というコアイメージが活かされている。限定符号の刀を添えた前は刀を進めて物を切りそろえることを暗示させる。しかしそんな意味を表すのではなく、「そろえる」というイメージを介して歬と同じ歩行法に利用された。歬は前に統合されて廃字(使用されない字)となった。
前は儀礼的な歩き方から発想されたが、上の①のように、正面を向いてまえの方に進んでいくという意味で使われる。正面を向いた方向の意味(上の②)はその転義である。これは空間的な「まえ」だが、時間的な「まえ」にも転用される。時間的な「まえ」は現在を起点として過去を振り返る視点から今よりも前という意味である。