「善」

白川静『常用字解』
「会意。もとの字は譱に作り、羊と誩とを組み合わせた形。羊は神判に用いる解廌かいたいとよばれる羊に似た神聖な獣。誩は両言。言は神への誓いのことばである。誩は神前にあたって神に誓いをたてた原告と被告で、譱は原告と被告が解廌の前で神判を受け、善否を決することを示す。のち神の意思にかなうことを善といい、“よい、ただしい” の意味となる」

[考察]
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。羊(解廌)+誩(両言)→原告と被告が解廌の前で神判を受け善否を決するという意味を導く。これから「神の意思にかなう」の意味に転じたという。
解字にも意味の取り方にも疑問がある。羊を解廌という想像上の獣とするのは変である。解廌は廌の字形で薦や灋(=法)に含まれている。羊はヒツジ以外にない。また誩を原告と被告とするのもおかしい。神判に合わせるため原告と被告を持ち出したものであろう。また「神判を受け善否を決する」から、なぜ「神の意思にかなう」の意味が出るのか。有罪無罪を決することが善なら有罪も有り得る。善いこととは限らないだろう。
字形から意味を読もうとするのは甚だ疑問である。だいたい意味は字形にあるものではなく言葉にあるものである。言葉の使われる文脈からつかむものである。善は古典に次の用例がある。
①原文:禾易長畝 終善且有
 訓読:禾は長畝に易(おさ)まり 終に善く且つ有り
 翻訳:稲は長い畝で手入れされ 出来がよい上に量も多い――『詩経』小雅・甫田
②原文:盡美矣、又盡善矣。
 訓読:美を尽くせり、又善を尽くせり。
 翻訳:[その音楽は]美も善も十分に表現し尽くしている――『論語』八佾
③原文:叔善射忌 又良御忌
 訓読:叔は善き射なり 又良き御なり
 翻訳:叔さんは上手な射手 また優れた乗り手――『詩経』鄭風・大叔于田

①は姿・性質・行いなどが好ましい意味、②はよいこと、立派なことの意味、③は上手である、上手にやる意味で使われている。これを古典漢語ではdhian(呉音でゼン、漢音でセン)という。これを代替する視覚記号しとして善が考案された。
語源について古人は善・繕・膳を同源としている。藤堂明保はこのほかに多・大・達・亶タン(たっぷりと豊か)も同じ単語家族にくくり、「ゆったり、ゆとりがある」という基本義があるとしている(『漢字語源辞典』)。これは「たっぷりと多い」というコアイメージと言い換えてよい。漢語意味論における意味展開の特徴の一として、例えば吉は「いっぱい詰まる(満ちる)」というコアイメージから「幸運がいっぱいあってけっこうである、めでたい」という意味に展開する。同じように善は「たっぷりと多い」というコアイメージから心理的に好ましいという意味に展開するのである。
字源を見てみよう。善は譱が変化したもの。譱は「羊+誩」に分析できる。羊は家畜の一つで、古人の美観では羊に吉祥のイメージが与えられた。姿がよく、めでたいというイメージがある(892「祥」を見よ)。誩は言を二つ並べて口々に言うことを示す。吅が「口々にしゃべってうるさい」を表すのと似ている。「羊(イメージ記号)+誩(イメージ補助記号)」を合わせた譱は良いことやめでたいことを口々に褒めそやす状況を暗示させる図形である。この図形的意匠によって、褒めたいほどすばらしくけっこうである、立派である、好ましいという意味(上の①②)を表している。