「早」

白川静『常用字解』
「仮借。匙の形。早はさじの意味に用いることはなく、その音を借りて“はやい、あさ、わかい”の意味に用いる」

[考察]
字形の解釈と意味が分裂している。だから仮借説を取らざるを得ない。
仮借は漢字の成り立ちを説明する六書(象形・指事・会意・形声・仮借・転注)の一つで、aの意味をもつAという言葉に文字がないとき、bの意味をもつBというAと同音の言葉を表す文字を借りるというもの。上記の説明を敷衍すると、「はやい」を意味するのはtsogという言葉であるが、これを表す文字がない(作れない)ので、「さじ」の形である早を借りたという趣旨であろう。ところが早はさじの意味では用いないという。では何のために作られたのか。文字とは言葉の表記として作られるものである。早は「はやい」を表す言葉のために作られたのではないのか。ここら辺りが仮借説のおかしいところである。仮借説は根本的に否定されよう。
早は最初から「はやい」を意味する言葉に対応する文字である。古典における早の用例を見てよう。
①原文:某子之親、夜寢早起。
 訓読:某子の親、夜に寝ね早く起く。
 翻訳:ある子の親は夜遅く寝て、朝早く起きる――『韓非子』忠孝
②原文:盛服將朝尚早。
 訓読:盛服して将に朝せんとするは尚早し。
 翻訳:盛装して参内するにはまだ時刻が早い――『春秋左氏伝』宣公二年

①は一日の朝方のはやい頃(夜明けの頃)の意味、②は時刻・時間がはやい意味で使われている。これを古典漢語ではtsog(呉音・漢音でサウ)という。これを代替する視覚記号しとして早が考案された。
古人は早と皁ソウ(黒い)を同源としている(『釈名』)。黒いと暗いはイメージが似ている。朝の暗い時刻が早であるという解釈である。これは正当である。早と皁は字源も同じで、双子のような関係である。
『説文解字』の草の項で「草は草斗、櫟実なり。一に曰く象斗」とあるが、これは早・皁の説明になっている。櫟実とはクヌギの実、つまりドングリである。象斗とは殻斗のことで、殻(外皮)のついたドングリのことである。要するに早と皁は殻斗から発想された語と考えられる。
皁には白が含まれている。白はドングリを描いた図形である。その下に十の符号をつけた皁は外皮のついたドングリを表している。なぜこんな字形ができたのか。それは色の名の起源と関係がある。ドングリの用途は食用である。漂白して(あく抜きをして)食用にした。その薄い色の形状から白色という色の名が起こった。一方、殻斗は黒色を採る染料に利用された。だから皁を黒色の意味に用いた。一方、早は皁の上部の白が変わったもので、別の意味に使うためにできた字体である。上記の通り、黒い→暗いというイメージ転化があるので、日の出前の暗い時刻を早で表したのである。かくて早は「はやい」、皁は「黒い」と棲み分けた。