「即」
正字(旧字体)は「卽」である。

白川静『常用字解』
「会意。皀きゅうと卩せつとを組み合わせた形。皀は𣪘(食器)のもとの字。卩は跪く人を横から見た形。即は食膳の前に人が跪く形で、食事の席に即くの意味となる」

[考察] 
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。皀(食器)+卩(跪く人)→食事の席につくという意味を導く。
字形の解釈をストレートに意味とするのは白川漢字学説の全般に見られる特徴である。この解釈では意味に余計な意味素が混入しがちである。またあり得ない意味が導かれることも多い。即に「食事の席につく」という意味はない。
意味とは「言葉の意味」である。言語学では言葉(記号素)は音と意味の結合したものと定義される。意味は言葉に内在する概念である。言葉という聴覚記号を、レベルの異なる視覚記号に切り換えたのが文字である。文字は言葉を前提として存在するもので、言葉を離れては文字はない。言葉を無視しては意味を捉えることはできない。字形から意味を求める白川漢字学説は言語学に反する。
言葉の意味はどうして知ることができるのか。それは言葉の使われる文脈から知ることができる。文脈がなければ意味を知りようがない。即は古典に次の文脈がある。
①原文:豈不爾思 子不我卽
 訓読:豈(あに)爾を思はざらんや 子シ我に即(つ)かず
 翻訳:私はお前を思っているのに お前は私に寄りつかぬ――『詩経』鄭風・東門之墠
②原文:君命一宿、女卽至。
 訓読:君一宿を命ずるに、女(なんじ)即ち至る。
 翻訳:殿は一晩休むように命じたのに、お前は即日やって来た――『春秋左氏伝』僖公二十四年

①はAの側にBが寄り添う(就く、寄りつく)の意味、②はすぐさまという意味で使われている。これを古典漢語ではtsiәk(呉音でソク、漢音でショク)という。これを代替する視覚記号として卽が考案された。
卽は「皀+卩」に分析する。皀は食の下部に含まれ、食べ物を器に盛った形、卩は跪いた人の形である。したがって卽はごちそうの側に人が就いている情景を設定した図形。しかしそんな意味を表すのではない。Aという本体の側にBという別のものが寄り添ってくっつくことを暗示させるのが、図形的意匠の意図である。これによって上の①の意味をもつ tsiәkを表記した。
なぜ②の意味が生まれたのか。白川は「席につくことを即席といい、その場の意味となり、その場にのぞんですぐことをすること、“すぐさま、ただちに” の意味となる」と述べる。食事の席につくことから「すぐさま」の意味が出たという説明である。しかし「食事の席につく」という意味はないから、この説明は成り立たない。
「(二つのもの、AとBが)くっつく」というのが卽のコアにあるイメージである。AとBは空間的に距離のない状態である。空間的イメージは時間的イメージにも転用される。二つの時間に間隔がない状態、これが「すぐさま」の意味として実現されるのである。
一般意味論では転義をメタファーで説明するが、コアイメージが転義の契機・原動力になるのは漢語意味論の特徴の一つである。あるいはこれは言語における普遍性かもしれない。