「俗」

白川静『常用字解』
「形声。音符は谷よう。この場合の谷は渓谷の谷こくとは異なり、容・浴・欲の字に含まれる谷ようと同じである。容は祖先を祭る廟(宀)の中にㅂ(祝詞を入れる器の形)を供えて祈り、そのㅂの上にかすかに現れた神の姿であり、その姿を見たいと思うことを欲という。欲とは神に祈って、神の姿の現れることを欲することをいうが、そのような一般的な信仰や儀礼のありかたを俗という」

[考察]
字形の分析にも意味の取り方にも疑問がある。①谷にヨウの音はない。これは架空の音である。②592「谷」では「甲骨文字は谷の入り口の所にㅂを置いている形であって、そこは聖所として祀られたのであろう」とあり、宗教・習俗と関係づけた解釈をしている。谷こくと谷ようを区別するのはおかしい。③祝詞は口で唱える言葉(聴覚言語)であり、これを器に入れるという事態があるだろうか。祈るだけで十分なのにわざわざ器を供えるのは不自然である。④器の上にかすかに神の姿が現れるとはどういうことか。神は形体を持ち、目に見える存在か。⑤神の姿が現れることを欲することから、「一般的な信仰や儀礼のありかた」という意味が出るだろうか。
白川漢字学説には言葉という視点がなく、ただ字形から意味を引き出そうとするから、恣意的な解釈になりやすい。意味とは「言葉の意味」であって言葉を無視して字形から意味を引き出すのは言語学に反する。字形から意味を求める白川漢字学説は非科学的と言わざるを得ない。
古典における俗の用例を調べ、意味を確かめるのが先決である。
①原文:安其居、樂其俗。
 訓読:其の居に安んじ、其の俗を楽しむ。
 翻訳:[小国寡民というユートピアでは]人は自分の住居に安心し、世間のならわしを楽しんで暮らす――『老子』第八十章
②原文:世俗所謂不孝者五。
 訓読:世俗の所謂(いわゆる)不孝なる者は五。
 翻訳:世間で不孝といわれるものに五つある――『孟子』離屢下

①は世間のならわしの意味、②は世間、世間一般の意味で使われている。これを古典漢語ではziok(呉音でゾク、漢音でソク)という。これを代替する視覚記号しとして俗が考案された。
俗は「谷コク(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。谷は「たに」という実体に重点があるのではなく、形態や機能に重点がある。形態的には「くぼみ、空所」のイメージ、機能的には「中に入れる」というイメージである。したがって俗は人々がその中に身を置いて、どっぷりとひたり込んでいるものや所(人間環境、世の中、世間)を暗示させる。