「賊」

白川静『常用字解』
「会意。もとの字は鼎と戎とを組み合わせた形。戎は戈と干とを組み合わせた形で、兵器・武器・軍隊・いくさの意味となる。鼎には保存すべき重要な契約・盟誓が刻まれることがあり、この盟誓の銘文を兵器で削り傷つけることを賊といい、“そこなう、やぶる、わるもの” の意味となる」

[考察]
字形の解剖を間違えている。戎は「甲+戈」であり、賊にも戎にも干は含まれていない。賊は『説文解字』に言う通り「則+戈」に分析すべきである。
意味の取り方にも疑問がある。字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法で、鼎(かなえ)+戎(兵器)→鼎に刻まれた盟誓の銘文を兵器で削り傷つけるという意味を導く。
「鼎(かなえ)+戎(兵器)という極めて舌足らず(情報不足)な図形から多量の情報を読むが、根拠があるのか疑わしい。白川漢字学説は図形的解釈と意味を混同するのが特徴である。これは字形に意味があるとして、字形から意味を求める白川学説の必然的は結果である。言葉という視点が欠けている。
意味とは「言葉の意味」であって字形にあるわけではない。言語学では言葉(記号素)は音と意味の結合体で、意味は言葉に内在する概念と定義される。意味を知るには言葉の使われる文脈がなければならない。言葉の具体的な文脈における使い方が意味である。
賊の古典における用例を見よう。
 原文:不僭不賊 鮮不爲則
 訓読:僭シンせず賊せざれば 則と為さざるは鮮(すくな)し
 翻訳:人をそしらず人を害さなければ 誰もがあなたを手本とする――『詩経』大雅・抑
賊は人を傷つけたり殺したりする(害する、そこなう)の意味で使われている。これを古典漢語ではdzәk(呉音でゾク、漢音でソク)という。これを代替する視覚記号しとして賊が考案された。
賊は「則(音・イメージ記号)+戈(限定符号)」と解析する。則は金文では「鼎+刀」になっている(篆文から貝に変形)。鼎は煮炊きする調理用具である。刀はナイフや庖丁の類と考えてよい。調理に付き物の道具である。「鼎+刀」でもって鼎(本体)の側にナイフ(付き物)が添えてある情景を設定した図形である(1159「則」を見よ)。この図形的意匠によって「AとB(二つのもの)がくっつく」というイメージを表す。図示すると▯・▯の形である。視点を変えると▯ー▯の形や▯←→▯の形にもなる。これは「二つに分かれる」のイメージである。「くっつく」と「分かれる」は可逆的(相互転化可能)なイメージである。これは漢語意味論における特徴の一つ。戈はほこ(武器)や刃物と関係があることを示す限定符号である。したがって賊はくっついているものを二つに切り分ける状況を設定した図形。この図形的意匠によって上記の意味をもつdzәkを表記した。