「他」

白川静『常用字解』
「形声。音符は也。也は古くは它に作り、頭の大きな蛇の形である。金文に“也邦” の語があり、“ほか”の意味に用いる。金文や古い文献には也・它を“ほか、よそ”の意味に用いており、他は它の形声の字である」

[考察]
字源説としてはほぼ妥当であるが、なぜ「ほか」の意味があるのかの説明がない。「他は也の形声の字」というが、也は它と同じで「ほか」の意味だから、会意のはず。白川漢字学説には形声の説明原理がなくすべて会意として説くのが特徴である。だから本項も会意とすべきだろう。
古典における他の用例を見てみよう。
①原文:人知其一 莫知其他
 訓読:人其の一を知り 其の他を知る莫し
 翻訳:人は一つのことだけ知っていて ほかの事は知らない――『詩経』小雅・小旻
②原文:終遠兄弟 謂他人父
 訓読:終に兄弟を遠ざかり 他人を父と謂ふ
 翻訳:[嫁に行き]兄弟と遠く離れ 赤の他人を父と呼んだ――『詩経』王風・葛藟

①は別の事柄や人の意味、②は当面するものとは違う(別の、ほかの)という意味である。これを古典漢語ではt'ar(呉音・漢音でタ)という。これを代替する視覚記号しとして他が考案された。
ヘビを描いた象形文字に它と也があるが、ヘビを意味しない(ヘビは蛇あるいは虵と表記される)。実体よりも形態や機能に重点を置くのが漢字の造形法の特徴である。它と也は形態的特徴から「うねうねと(横に)延びる」というイメージの記号として用いられる(769「蛇」、707「施」を見よ)。一方、機能的特徴から捉えられたイメージがある。ヘビはおおむね毒があり、人を嚙んで死に至らしめることがある。古代では特にヘビの害が多く、恙ないかという挨拶用語に「它無きや」という言い方があったという。これは変事(変わり)はないかという意味だが、ヘビの象形文字の它でもってヘビの害を予想した表現になっている。つまりヘビの害を変事と考え、ここから它に「変わったこと、普通とは違ったこと」という意味付けがなされたのである。
かくて他の語源・字源も明らかになった。他は「也ヤ(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。也は上記の通り「変わっている」「普通とは違う」というイメージを示す記号である。人は人に関係があることを示す限定符号。したがって他は当面するものとは違う別の人や物を暗示させる。