「多」

白川静『常用字解』
「会意。夕と夕とを組み合わせた形。夕は肉の形であるから、夕を二つ重ねて肉の多いことをいう。多はお供えの肉の多いことであることから、すべて“おおい” の意味となる」

[考察]
白川漢字学説は字形から意味を導く方法で、字形の解釈をストレートに意味とする特徴がある。そのため図形的解釈と意味がしばしば混同される。お供えの肉が多い意味から「おおい」の意味になったというが、「肉が多い」は図形的解釈であって意味ではあるまい。こんな意味は多にない。
白川漢字学説には言葉という視点が全くない。言葉を無視してただ字形の解釈だけで意味を読み取ろうとする。これは誤った方法である。意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。「字形→意味」の方向に漢字を見るのは逆立ちした漢字学説である。「意味→字形」の方向に逆転させる必要がある。
多の用例を古典に当たって意味を確かめるのが先決である。
①原文:君子有酒 旨且多
 訓読:君子酒有り 旨く且つ多し
 翻訳:殿方のうたげの酒は 旨い上にたっぷりあるよ――『詩経』小雅・魚麗
②原文:身與貨孰多。
 訓読:身と貨、孰(いづ)れか多(まさ)れる。
 翻訳:身体と財貨はどちらが大切か――『老子』第四十四章

①は数量がたっぷりある(おおい)の意味、②は立派である、大切である意味に使われている。これを古典漢語ではtar(呉音・漢音でタ)という。これを代替する視覚記号しとして多が考案された。
 tar(多)の語源について藤堂明保は、多のグループ(多・侈)、大のグループ(大・泰・汰・達)、亶のグループ(亶・擅)、善のグループ(善・膳・繕)などを同じ単語家族に収め、TAT・TAR・TANという音形と、「ゆったり、ゆとりがある」という基本義があるとしている(『漢字語源辞典』)。これは正当な語源説である。
「ゆったり、ゆとりがある」は「(空間的にゆとりがあって)たっぷりある」というコアイメージと言い換えることができる。多とは数量においてたっぷりとゆとりがあるほどあること、つまり「おおい」という意味である。
意味を確かめた後に字源を見る。多は「夕」を重ねた形である。夕は夕方の夕(三日月の形)とは違い、切り身の肉の形である。したがって多は肉を重ねた情景を設定した図形である。重ねるのは縦(垂直)でも横(水平)でもかまわない。図示すると▯▯の形や▯▯▯▯の形である。この図形的意匠によって、数量が多いことを暗示させる(上の①)。
多と大は「空間的にゆったりしている」という共通のコアイメージをもつので、同源の語である。多は「大きい」というイメージにも転化しうる。ここから②の意味が生じる。
ちなみに日本語の「おおい(おほし)」はオホ(大)と同根で、「容積的に大きいこと。また、数量的に多いこと。さらに、立派、正式の意」という(『岩波古語辞典』)。古典漢語の多と語源も意味も非常に似ている。