「惰」

白川静『常用字解』
「形声。もとの字は憜に作り、音符は隋。隋は阜(神が天に陟り降りするときに使う神の梯の形)と左(呪具の工を手に持つ形)と月(肉の形)を組み合わせた形。隋ずいではなく、隋の音でよむときは、神の梯の前に盛って供えられた祭肉の意味となる。土は土主の形で、土地の神であるから、隋(堕)は神に供えられた祭肉が崩れ落ちるの意味となり、その崩れるような心を憜(惰)といい、“おこたる、なまける” の意味となる」

[考察]
形声の説明原理がなく会意的に説くのが白川漢字学説の特徴である。隋(神の梯の前に供えられた祭肉)+土→神に供えられた祭肉が崩れ落ちる) 隋(堕)+心→祭肉が崩れ落ちるような心→おこたる・なまけるという意味を導く。
隋の解字の疑問については1003「随」で述べた。
隋と堕を同じとするのも疑問である。1180「堕」では堕を「土地の神に祭肉を供える」の意味とし、そこから「祭肉が崩れ落ちる」の意味に転じたというが、この意味展開は必然性がない。堕にはそんな意味はない。この堕から惰のの意味が出て、「祭肉が崩れ落ちるような心」の意味とする。惰にこんな意味はない。
隋・堕・惰の解釈はすべて疑わしい。字形から意味を引き出すのは無理がある。というよりも誤った方法である。意味は字形から出るものではなく、言葉の使われる文脈にある。文脈から意味を知る以外にない。
惰は次のような文脈で使われている。
 原文:語之而不惰者、其回也與。
 訓読:之に語りて惰(おこた)らざる者は、其れ回なるか。
 翻訳:彼と話をして、なまけることのない人間は顔回であったなあ――『論語』子罕
惰は心身がぐったりしてだらける(なまける、おこたる)の意味である。これを古典漢語ではduar(呉音でダ、漢音でタ)という。これを代替する視覚記号しとして惰が考案された。
惰は憜が本字で、「隋(音・イメージ記号)+心(限定符号)」と解析する。隋は「形が崩れて定形がなくなる」というイメージがある(1180「堕」を見よ)。憜(惰)は張り詰めた心が崩れてぐったりとなり張りをなくする状況を暗示させる。この図形的意匠によって上記の意味をもつduarを表記した。