「待」

白川静『常用字解』
「形声。音符は寺。寺にものを保有し、またその状態を持続するの意味がある。待とは時を過ぎても“まつ、まちうける” の意味がある」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。寺(ものを保有しその状態を持続する)+彳→時を過ぎてもまつという意味を導く。
寺に「ものを保有し、またその状態を持続する」という意味があるだろうか。そんな意味はない。また、待は「時を過ぎても待つ」という意味だろうか。単に「まつ」の意味であろう。
白川漢字学説は字形から意味を導き、字形の解釈をストレートに意味とする。だから意味に余計な意味素が混入する傾向がある。「時を過ぎても」は余計な意味素である。
意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。言葉の使われる文脈から出るものである。古典における待の実例を見てみよう
①原文:我待賈者也。
 訓読:我は賈コを待つ者なり。
 翻訳:私は買い手が現れるのを待っているのだ――『論語』子罕
②原文:以季孟之間待之。
 訓読:季・孟の間を以て之を待たん。
 翻訳:季氏と孟氏の中間ぐらい[の接待法]であなたを待遇しよう――『論語』微子

①はまつ意味、②はもてなす意味である。これを古典漢語ではdәg(呉音でダイ、漢音でタイ)という。これを代替する視覚記号しとして待が考案された。
待は「寺ジ(音・イメージ記号)+彳(限定符号)」と解析する。寺については727「寺」で述べたが、もう一度振り返る。寺は「之シ(音・イメージ記号)+寸(限定符号)」に分析する。之を分析すると「止シ(音・イメージ記号)+一(イメージ補助記号)」となる。止が之・寺を貫く根源のイメージ(コアイメージ)を提供する基幹記号である。止は足(foot)の図形で、足の機能から「進む」と「止まる」という二つのイメージを表すことができる(681「止」を見よ)。止・之・寺は同源・同根の記号なので、「進む」と「止まる」の二つのイメージを表すことができる。
後者のイメージを用いたのが待である。彳は足の動作(歩行・停止)に関係があることを示す限定符号である。したがって待はその場にじっと止まってまつ状況を暗示させる。
「じっと止まって待つ」ことから、相手を待ち受けてもてなす意味(上の②)に展開する。これが接待・待遇の待である。