「大」

白川静『常用字解』
「象形。手足を広げて立つ人を正面から見た形。“おおきい、さかん、すぐれる” の意味に用いる」

[考察]
字形に意味があるとして、字形から意味を読み取るのが白川漢字学説の方法である。 これを白川は「字形学」と称している。字形学は白川学説と同義である。
しかし字形に意味があるだろうか。言語学をかじっているなら誰でも言葉に意味があることを知っている 。意味とは「言葉の意味」である。言葉(記号素)は音と意味の結合したもので、意味は言葉に内在する概念と定義されている。聴覚記号である言葉を視覚記号に切り換えたのが文字である。文字自体が意味を表すのではなく、文字は言葉をある原理によって表記したものである。
白川は「手足を広げて立つ人」の形から「おおきい」の意味を読み取るが、大が未解読の文字だったら、そのような意味に読み取れるだろうか。手足を広げて立つ人の意味、あるいは、広げるの意味にも読めるのではないか。字形から意味を読み取るのは形と意味の関係に必然性がなくなる。字形→意味の方向に漢字を見るのは逆立ちした学説と言わざるを得ない。
では意味はどうして知ることができるのか。言葉が使われる文脈から判断し意味を把握するのである。大は古典で次のような文脈で使われている。
①原文:四牡脩廣 其大有顒
 訓読:四牡脩広なり 其の大なること顒ギョウたる有り
 翻訳:四頭の牡馬は長くて広く 頭もゆったりと大きい――『詩経』小雅・六月
②原文:大哉孔子。
 訓読:大なる哉孔子。
 翻訳:立派だなあ、孔子は――『論語』子罕

①は形がゆったりとして大きい意味、②は優れている、立派である意味に使われている。これを古典漢語ではdad(呉音でダイ、漢音でタイ)という。これを代替する視覚記号しとして大が考案された。
大は日本語の「おおきい」に当たるが、巨とは違う。巨は物体の幅が広く隔たっていることに起源があるが、大は面積や容積が広くゆったりとして余裕がある状態を表現する言葉である。だからdadを表記するために、手足を広げた人という視覚映像を作ったのである。「おおきさ」は抽象的な概念である。これを視覚的に表現するには具体的な場面・状況・情景を設定するのが近道である。この造形法を理解しないと漢字を字形から勝手に解釈し、とんでもない意味を引き出すことがある。