「択」
正字(旧字体)は「擇」である。

白川静『常用字解』 
「形声。音符は睪えき。睪は獣の屍体の形で、罒は目、幸の部分が肢体の形である。風雨に暴さらされてばらばらになっている獣の屍体から役立つところを手で取り出すことを擇といい、“えらぶ” の意味となる」

[考察]
字形の解剖にも意味の取り方にも疑問がある。睪の解剖の疑問については66「駅」、774「釈」で述べている。
また「風雨に暴さらされてばらばらになっている獣の屍体から役立つところを手で取り出す」とはどういうことであろうか。こんな奇妙な行為があるだろうか。しかもこの行為からなぜ「えらぶ」の意味が出るのか。この意味展開には必然性も合理性もない。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の特徴であるが、恣意的な解釈が多い。それは言葉という視点が欠けているからである。意味とは「言葉の意味」であって、字形から出るものではない。言葉の使われる文脈から出るものである。文脈を調べれば意味は分かる。字形から導く必要はない。字源の役割はその意味をなぜその字形で表記するかの理由を説明することである。
まず古典における擇の用例を調べよう。
 原文:擇有車馬 以居徂向
 訓読:車馬有るものを択び 居を以て向ショウに徂(ゆ)く
 翻訳:車馬を所有するものを選んで 一家を挙げて向[地名]に移った――『詩経』小雅・十月之交
擇はチェックして選び取る意味で使われている。これを古典漢語ではdăk(呉音でヂヤク、漢音でタク)という。これを代替する視覚記号しとして擇が考案された。
擇は「睪エキ(音・イメージ記号)+手(限定符号)」と解析する。睪については66「駅」で述べたが、もう一度振り返る。睪は「罒+幸」と分析する。罒は目と同じ。幸は手錠の形で、犯人や容疑者の象徴とする。犯人や容疑者を目視する場面が想定されている。『説文解字』に「睪は目視なり。吏をして目をもって罪人を捕へしむるなり」とある。犯人を特定するために容疑者を面通しする場面を設定したのが睪である。面通しする場面では何人かの容疑者をのぞき見して違うかどうかを判定する。このような情景を図示するとA-B-C-というぐあいに次々につながっていく。これは数珠つなぎのイメージであるが、連鎖ではなく「間を置いて点々と並ぶ」「点々と分かれる」というイメージにも展開する。かくて擇は▯-▯-▯の形に次々と続く候補の中から一つ一つチェックする情景を暗示させる図形である。この図形的意匠によって上記の意味をもつdăkを表記した。