「脱」

白川静『常用字解』
「形声。音符は兌。兌は巫祝(兄)の上に神の気配がかすかに降ることを八の形で示しており、神が乗り移ってうっとりとした状態になっている巫祝をいう。兌は気がぬけてぼんやりとした状態をいい、月(肉)を加えて、肉の消えること、脱落することを脱という」

[考察]
疑問点①「神の気配がかすかに降る」とはどういうことか。「神の気配」は理解を絶する。②兌に「気が抜けてぼんやりした状態」という意味があるだろうか。③脱に「肉の消える、脱落する」という意味があるだろうか。そもそも「肉が脱落する」とはどういうことか。理解に苦しむ。④「気が抜けてぼんやりする」から「肉が脱落する」への意味展開は不自然である。前者は心理的状態であり、後者は物理的な現象である。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。会意とはAの意味とBの意味を足した「A+B」をCの意味とする手法である。字形の解釈をそのまま意味とするので、意味に余計な意味素が混じったり、ひどいことになると存在しない意味が作られる。「肉が脱落する」はそんな類である。
形声の説明原理とは言葉の深層構造に掘り下げ、コアイメージを捉えて、語源的に意味を説明する方法である。白川漢字学説は言葉という視座がないから、言葉を探求しない。文字の表面をなぞるだけである。これでは意味を正しく捉えることはできない。意味とは「言葉の意味」であって字形から出るのではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。脱の意味を知るには古典の文脈に当たることが先決である。
①原文:脱屨戸外、膝行而前。
 訓読:屨(くつ)を戸外に脱ぎ、膝行して前(すす)む。
 翻訳:戸外で靴を脱ぎ、膝を地面につけながら進んできた――『荘子』寓言
②原文:肉曰脱之。
 訓読:肉には之を脱と曰ふ。
 翻訳:肉については、皮を剝いで骨を除いて肉を抜き取ることを脱という――『礼記』内則

①は衣類などを脱ぐ意味、②は周囲のものを剝ぎ取って、中身がするりと抜け出る(一部を抜き取る)の意味で使われている。これを古典漢語ではduat(呉音でダチ・ダツ、漢音でタツ)という。これを代替する視覚記号しとして脱が考案された。
脱は「兌ダ(音・イメージ記号)+肉(限定符号)」と解析する。兌は「八+兄」に分析する。八は↲↳の形に両側に分けることを示す記号。兄は兄弟のうち比較的大きな子であるが、一般に子どもと考えてよい。「八+兄」という舌足らず(情報不足)な図形で何を表したいのか。脱が上のように「ぬぐ」の意味で使われているから、おおよその解釈はつく。すなわち親(多分母親)が子の衣服を脱がせている場面を設定したと解釈できる。衣服を脱ぐという行為は、体の周囲にあるものを剝ぎ取って中身を抜き出すことである。duatという語のコアイメージは「中身を抜き取る」「中身が抜け出る」ということであり、この抽象的なイメージを具体的な場面設定をすることによって表現しようとする。これが兌という図形の工夫である。
肉は肉体や身体と関係があることを示す限定符号である。限定符号は意味領域を指定するほかに、図形的意匠を作るための場面設定の働きがある。衣類を脱ぐ場面を設定するために肉の限定符号が使われた。この限定符号は言葉の意味を超えたメタ記号であって、意味の中に含まれないことが多い。脱はただ「ぬぐ」(中身を抜き出す)という意味であって、肉も肉体・身体も意味の中に含まれない。白川漢字学説にはコアイメージの概念もないし、限定符号という概念もないので、脱を「肉が脱落する」の意味だとした。これは文字面の解釈に過ぎない。字形から意味を導くのは大きな誤りと言わざるを得ない。