「丹」

白川静『常用字解』
「象形。丹を採取する井戸の形。井戸の中に丹がある形である。それで“に、あか” の意味となる」

[考察]
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。しかし丹が赤色、鉱物の名であることが分かっているから、丹を「丹を採取する井戸の形」と解釈できるのであって、いきなり丹の字形から意味を引き出すのは無理である。 「字形→意味」の方向に漢字を説くのは誤りである。逆に「意味→字形」の方向に漢字を見るのが正しい見方である。
そのためには言葉という視点に立ち、言葉がどのような文脈で使われているかを調べ、文脈から意味を尋ねるのが先決である。字源はその後である。
 原文:顏如渥丹 其君也哉
 訓読:顔は渥丹の如し 其れ君なる哉
 翻訳:つややかな赤ら顔 本当に貴公子様だ――『詩経』秦風・終南
丹は赤色の意味で使われている。これは鉱物の名(硫化水銀)からの転義である。これを古典漢語ではtan(呉音・漢音でタン)という。これを代替する視覚記号しとして丹が考案された。
なぜ丹が硫化水銀という鉱物の名を表すのか。ここから字源の話になる。この鉱物は地中から採掘するので、採掘の環境や方法による図形化が工夫された。これが井桁のような枠と、その中に記した「・」の符号の組み合わせで造形された。これが丹である。
字形の説明はこの通りであるがなぜtanというのか。これは語源の問題である。言葉を扱う限り言葉の探求も必要である。丹は旦・袒・誕・綻などと同源で、「現れ出る」というのがコアイメージである。しかも「暗い所から明るい所に現れる」のである。さらに「赤いものが現れ出る」のである。旦は太陽、袒は肌、誕は赤子(赤ちゃん)である。丹は赤い鉱物である。丹が「に」の意味をもつのはもちろん鉱物の性質に由来するが、「暗い所(黒のイメージ)から明るい所(赤のイメージ)に姿を現す」という言葉の根源のイメージとも関わっている。