「致」

白川静『常用字解』
「会意。至は放たれた矢の至る所を示す。その矢の到達点に人が到ることを、致といい、“いたる、到達する、ある状態になる” の意味となる」

[考察]
攴(攵)は金文の字形では「人」になっているから致は「矢の到達点に人が到る」の意味だという。「矢の到達点に人が到る」とはどういうことか。何のために矢の到達点に人が来るのか。よく分からない解釈である。
古典における致の用例を見てみよう。
 原文:豈不爾思 遠莫致之
 訓読:豈(あに)爾を思はざらんや 遠くして之を致すこと莫し
 翻訳:あなたを思わぬ日はないが 遠くて思いは届かない――『詩経』衛風・竹竿
致はぎりぎりの所まで送り届ける意味で使われている。これを古典漢語ではtied(呉音・漢音でチ)という。これを代替する視覚記号しとして致が考案された。
致は「至(音・イメージ記号)+攴(限定符号)」と解析する。至は「逆さの矢の形+一」を合わせて、矢が地面(あるいは的、目標)に届く情景であるが、矢という実体は何の関係もなく、「これ以上は行けない最終点(どん詰まり)まで来る」というイメージを表している。このイメージが「いたる」という行為(その言語表現)を実現させる。これは空間的に移動する行為であるが、抽象的なものを移動させることにも転用できる。上記の用例では思いを究極の所まで送り届けるという意味であるが、思いを物体のように扱い、これをこれ以上は行けない所まで運ぶという表現である。それを表現するのが致である。
至は「どん詰まりまで来る」というイメージ。これに動作と関係づける攴という限定符号を添える。かくて致はぎりぎりの所まで届く(届ける)状況を暗示させる。この図形的意匠によって上記の意味をもつtiedを表記するのである。
意味はコアイメージによって展開する。「これ以上は行けない所(どん詰まり)まで来る」というイメージから、究極の所という意味に展開する。極致の致はこの意味である。