「逐」

白川静『常用字解』
「会意。豕は豚。辵(辶)は歩く、走るの意味。豚を追うことを逐といい、すべて“おう” の意味となる。甲骨文字と金文の字形は犬と辵の組み合わせが多く、犬を追うの意味となる」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。「豕(豚)+辵(歩く・走る)」から「豚を追う」という意味を導く。字形から意味を引き出すと、「豚が歩く(走る)」という意味もありうる。なぜ「豚を追う」なのか。それは逐が「おう」の意味に使われるからであろう。だから「豕+辵」で「おう」の意味を導く。これは堂々巡りの字源説である。意味は始めから分かっていることである。字形から意味を導く必要はない。そもそも字形から意味を導くことがおかしい。意味とは「言葉の意味」であって、字形の意味ではない。言葉が実際に文脈で使われる意味である。逐は古典でどう使われているかを見てみよう。
①原文:逐之而不能及也。
 訓読:之を逐ふも及ぶ能はざるなり。
 翻訳:それを追いかけても追いつけない――『荘子』天運
②原文:逐易牙而味不至。
 訓読:易牙を逐ひて味至らず。
 翻訳:易牙[料理人の名]を追放したため旨い料理が味わえなくなった――『管子』小称

①は追いかける意味、②は追い払う意味で使われている。これを古典漢語ではdiok(呉音でヂク、漢音でチク)という。これを代替する視覚記号しとして逐が考案された。
「追いかける」と「追い払う」では意味が違う。何が違うか。A←Bの形に、前に移動するAの後にBがついて行く(走っていく)のが「追いかける」。AとBは一緒になって移動する。一方、BはAと一緒に行かないで、Aだけある空間・範囲の外に移動させる。これが「追い払う」である。AとBの関係で、Bに焦点を置くと「追いかける」となり、Aに焦点を置くと「追い払う」になる。この意味展開は①から②への展開と考えてよいだろう。
さて以上のような古典漢語があり、これを表記するために「豕+辵」の図形が工夫された。豚をもってきたのは、日常生活でよく見られる情景を連想させるためである。どんな時代でも家畜の世話をするのは日常的な風景である。だから「Aの後をBが追いかける」を意味するdiokの表記として豚(家畜の代表)を追いかける場面を想定したのである。「豚を追う」という意味を表そうとするのではなく、「あるものの後を追いかける」の意味を暗示させようとする工夫なのである。