「窒」

白川静『常用字解』
「形声。音符は至。説文に“塞ぐなり”とあり、塞は㠭(呪具の工を四つ重ねた形)で邪霊などを封じこめる形で、ふさぐの意味となる。至は矢の到るところを示すから、窒は矢を呪具として“ふさぐ”ことを示す」

[考察]
分からない字解である。塞と窒は意味が似ているが、言葉は全く別である。字形上のつながりもない。塞では工を呪具としたから、窒でも矢を呪具としたと推測したのであろう。しかし「穴+至」の形から「矢を呪具としてふさぐ」という意味になるだろうか。だいたい「矢を呪具としてふさぐ」とはどういう事態をいうのか。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく、字形から会意的に意味を導く方法である。本項では「矢が到達する」と「ふさぐ」との関係に合理的な説明がない。支離滅裂な解字になっている。
形声の説明原理とは言葉の深層構造に掘り下げ、コアイメージを捉えて、意味を説明する方法である。しかし意味はすでに知られている。古典における用法を調べれば分かる。次の用例がある。
①原文:穹窒熏鼠
 訓読:穹窒して鼠を熏ず
 翻訳:穴をふさいで鼠をいぶし出す――『詩経』豳風・七月
②原文:惡果敢而窒者。
 訓読:果敢にして窒がる者を悪(にく)む。
 翻訳:勇敢だが視野の狭い人が嫌いだ――『論語』陽貨

①は穴や物の内部が詰まってふさがる意味、②はふさがって通りが悪い、行き詰まって進めない意味である。これを古典漢語ではtiet(呉音でチチ、漢音でチツ)という。これを代替する視覚記号しとして窒が考案された。
窒は「至(音・イメージ記号)+穴(限定符号)」と解析する。至は「矢の逆形+一」を合わせて、矢が目標に届く情景を図にしたもの(692「至」を見よ)。図示すると→|の形。AがBに至るとAとBの間隔はほとんどなくなる。だから「至」は「行き詰まる」「どん詰まり」「ふさがって通らない」というイメージを表す記号になる。言語の成立史、あるいは意味論から見れば、「詰まる」「ふさがる」という事態・状態に対してTETのような音形で言語化し、AがBの地点(究極の所、最終点)につく行為をtied(至)というのである。一方、ある空間内に物が詰まった状態も、同じイメージによって言語化し、これをtiet(窒)というのである。穴が行き詰まってふさがる、あるいは穴に物が詰まってふさがるという事態・状態を想定して図形化したのが窒である。