「茶」

白川静『常用字解』
「形声。“ちゃ。ちゃのは” をいう。茶は古い辞書にはみえない字で、もとの字はおそらく荼に作り、音符は余。爾雅に“檟は苦荼なり”とあり、荼はのちの茶にあたる」

[考察]
字源の説明になっていない。余は何かを説明しないと字源にならない。
茶と荼が同じというだけでは、なぜ茶が飲料、あるいは木の名としての「ちゃ」になったのか、分からない。
まず荼の用例を古典に見てみよう。
 原文:誰謂荼苦 其甘如薺
 訓読:誰か謂ふ荼トは苦しと 其の甘きこと薺の如し
 翻訳:ノゲシが苦いと誰が言う ナズナのように甘いのに――『詩経』邶風・谷風
荼はキク科のノゲシの意味で使われている。ノゲシは葉が苦いので、別名は苦菜という。古代ではこれを飲料として用いたといわれる。
時代が下って漢代になるとチャの木が発見され、これの葉を飲料として用いるようになった。味が苦いので、荼の字を借りて苦荼といい、単に荼とも称された。ただし音は荼のト・ダの音からヂャ(チャ)の音に変わった。また字体も荼→茶に変わった。
さて字源は荼からしか解釈のしようがない。なぜ余が使われているのか。余については758「舎」で述べている。振り返ってみよう。
舍は「余+口」、または「余の略体+口」と分析する。余とは何か。余の原形は先端が㐃の形で下部に柄のつた道具である。土を削る鍬の類と考えてよい。これに八(左右に分ける符号)を添えたのが余である。でこぼこした土を農具(鍬の類)で平らにかき分けて均す情景を設定したのが余である。この図形的意匠によって、「横に平らに伸ばす」というイメージを表すことができる。このコアイメージは「平らに押し伸ばす」「(狭いもの、窮屈なものを)ゆったり伸ばす」「伸ばしてゆったりさせる」「空間的、時間的に間延びさせてゆったりとゆとりができる」というイメージにも展開する。口は場所を示す符号である。したがって舍は「余(音・イメージ記号)+口(イメージ補助記号、または限定符号)」と解析する。舍は手足を伸ばしてゆったりさせくつろぐ所を暗示させる(以上は758「舎」の項から)。
余は上記のように、「ゆったりと伸ばす」「伸ばしてゆったりさせる」「空間的、時間的に間延びさせてゆったりとゆとりができる」というイメージがある。これは心理的、身体的なイメージにも転用できる。これが荼の字源でも共通である。ノゲシは用途から命名されて荼という。つまり苦いけれども飲料として用いると心身の緊張を解いてゆったりさせる機能がある。チャノキもその葉が荼と同じ用途のものとして登場する。かくてアナロジーによって荼がチャの意味を獲得し、本来のノゲシと区別するため字体を少し変えて茶の字が成立した。チャは木なのになぜ草冠なのかはこれで判明する。
茶の字は漢代の次の文献で初登場する。
 原文:炰鱉烹茶。
 訓読:鱉ベツを炰(つつみや)きして茶を烹(に)る。
 翻訳:スッポンを丸焼きし、チャをたてる――王褒・僮約(『漢魏六朝百三家集』巻六)