「嫡」

白川静『常用字解』
「形声。音符は啇てき。啇のもとの字は帝と口とを組み合わせた形。帝は大きな祭卓の形。口はᆸで、祝詞を入れる器の形。啇は帝を祀ることを示す啻てい(禘)の字で、禘祭をとり行うことができる者は帝の直系者であったので、啇は“あとつぎ、よつぎ” の意味となる。啇が嫡のもとの字である」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。会意とはAの意味とBの意味を足し合わせた「A+B」をCの意味とするもの。本項ではAは啇、Bは女だが、Bの説明がない。
問題は啇の解釈。啇は啻と同じで「帝を祀る」の意味だというが、啻にそんな意味はない(啻はシの音で「ただ」という副詞)。また帝とは天帝(天の神)のことであろう。これの直系者とは何であろうか。現実世界の皇帝のことであろうか。皇帝の世継ぎといえば世子(皇子)のことか。啇にそんな意味はない。
なぜ啇に女を添えた嫡が帝の直系者、「あとつぎ」の意味になるのか、これも分からない。
字形の解釈をストレートに意味とするのが白川漢字学説の特徴である。だから帝→天帝→天帝の直系という意味が出てくる。
形声の説明原理とは言葉の深層に迫ること、語源的に意味を探求することである。白川漢字学説には言葉という視点が欠落している。ただ字形から意味を導くだけである。字形は何とでも解釈できる。語源の歯止めが必要である。
言葉という視点から漢字を見る必要がある。それには何よりも用例を調べるのが先決である。嫡は次の文脈で使われている。
 原文:固請於公、以爲嫡子。
 訓読:固(もと)より公に請ひて、以て嫡子と為す。
 翻訳:もちろん殿様に彼を嫡出子と認めるよう申請する――『春秋左氏伝』僖公二十四年
嫡子とは正妻の生んだ子で、嫡だけで正妻の意味である。これを古典漢語ではtekといい、これを代替する視覚記号しとして嫡が考案された。
『釈名』では「嫡は敵なり。匹(つれあい)と相敵するなり」と語源を説いている。敵は「かたき」ではなく匹敵の敵、「向き合う者」の意味である。向き合うとはA―Bの形に相対することである。Aを夫とすればBは妻である。古代の貴族社会では一夫多妻が普通であった。Aに対しては側室が何人かいるのが普通。しかしA―Bの形に向き合うものはただ一人である。これが正妻であることは言うまでもない。
字源については敵で詳説しよう。結論だけを述べると、啇は「→←の形に向き合う」というイメージを示す記号である。A⇆Bの形に向き合うというイメージでもある。これが嫡という言葉の深層構造である。形声の説明原理とはこのように深層構造を捉えて意味を説明する方法である。