「忠」

白川静『常用字解』
「形声。音符は中。説文に“敬むなり”とあり、心を尽くすの意味とする。甲骨文字の中は旗竿の上部と下部に吹き流しをつけた中軍の旗の形であるから、心を尽くすとは心を支配するという意味をも含むと見てよい。“心を尽くす、まごころ、まこと、ただしい、つつしむ”などの意味に用いる」 

[考察]
この説明では忠の意味がよく分からない。「敬(つつし)む」がなぜ「心を尽くす」の意味なのか。「心を尽くす」ことがなぜ「心を支配する」の意味を含むのか。中が中軍の旗だから、中に「支配する」 の意味が含まれるのか。意味の展開が混沌として捉えどころがない。
古典における忠の用例を見るのが先決である。次の文脈で使われている。
 原文:爲人謀而不忠乎。
 訓読:人の為に謀りて忠ならざるか。
 翻訳:人のために考えてやったのに、真心をこめていなかったのではないか――『論語』学而
忠はまじめで誠実な心、つまり真心という意味で使われている。これを古典漢語ではtiongという。これを代替する視覚記号として忠が考案された。
忠は「中(音・イメージ記号)+心(限定符号)」と解析する。上記の文献の注釈では「忠は中心なり」とある(『論語義疏』)。 忠と中は全く同音である。忠と中の同源意識があったから、「忠は中なり」「忠は中心なり」と言える。中心とは真ん中の心である。
日本語では誠実なことを「まごころ」という。「ま」とは「まこと」の「ま」である。「ま」は「片の対。揃っている、完全である、本物である、すぐれているなどの意を表す」。だから「まごころ」は「濁りや偽りのない心」の意味である(『岩波古語辞典』)。漢語の忠は「中の心」であって、ただ中のイメージだけから成り立っている。では中とは何か。
1258「中」で述べたが、もう一度振り返ってみる。
『説文解字』では「中は内なり。口に従い、|は上下通ず」と説明している。これは意味と字形を同時に説明している。言葉の面では通に重点がある。通(t'ung)と中(tiong)は音が似ている。ある範囲・空間を上下または左右に突き通っていったその枠内の軌跡が「うち」であり、上下・左右のどちらにも片寄らない位置が「なか」「まんなか」である。このようにして「なか」の概念が成立したと考えられる。(以上、1258「中」の項)
中とは「上下・左右どちらにも片寄らない(偏らない)位置」である。これが中心である。だから中の心とは偏りがなく行き届いた心である。邪心は邪(斜め)の心、偏った心であるが、中心(まごころ)は偏らない心、言い換えればよこしまでない心、偽りのない心である。これを漢語では忠というのである。