「駐」

白川静『常用字解』
「形声。音符は主。主は鐙の中で炎が燃えている燭台の形で、柱のように一定のところに立つという意味がある。説文に“馬立つなり”という。馬が立ちどまることに限らず、すべて“とどまる、とどめる”の意味に用いる」

[考察]
ほぼ妥当な字源説であるが、難点は言葉という視点がなく、字形から意味を求めることである。主に「柱のように一定のところに立つ」という意味はないし、駐は必ずしも「馬が立ち止まる」という意味ではない。
白川漢字学説には形声の説明原理がない。形声の説明原理とは言葉の深層構造から意味を探求する方法である。言葉の深層構造にあるのは意味ではなく、イメージである。意味とイメージを区別しないと、漢字(の字源・語源)が理解できない。
古典から駐の用例を見てみる。
 原文:吾不可以久駐。
 訓読:吾以て久しく駐まるべからず。
 翻訳:私は長い間止まることはできない――『淮南子』道応訓
駐は車・馬・乗り物・軍隊など動くものが一時的に止まるという意味で使われている。これを古典漢語ではtiug(呉音・漢音でチュウ)という。これを代替する視覚記号として駐が考案された。
駐は「主(音・イメージ記号)+馬(限定符号)」と解析する。主については780「主」、822「住」、1265「注」、1267「
柱」で述べているが、繰り返すと次の通り。
主の解釈は『説文解字』に「鐙(灯をともす皿)の中の火主(灯心)なり」というのが参考になる。段玉裁は主を炷(ともしび)の原字とした。これはほぼ定説になっている。主は蠟燭台の上で炎が立って燃えている図形と解釈できる。しかし「ともしび」という実体に重点があるのではなく形態に重点がある。炎が立って燃えている姿から、「⊥の形にじっと立つ」というイメージだけが取られるのである。つまり「じっと立って動かない」というコアイメージをもつ言葉がtiugなのである。(以上、780「主」の項)
これで駐の意味も明らかであろう。主は「⊥の形にじっと立つ」「じっと立って動かない」というイメージを表す記号である。白川のいうような「主は柱のように一定のところに立つという意味」とは違う。意味とイメージは区別する必要がある。また馬は何のためにあるのか。これは限定符号である。限定符号は言葉の意味の範疇や領域を指定する働きのほかに、図形的意匠を作るための場面設定の働きがある。馬と関係のある場面を設定するのが馬を持ってきた理由である。つまり馬が進行をやめて一時的にストップする場面である。これは図形的意匠であって、意味ではない。意味はあくまで古典の用例から導かれた意味(上記)である。