「弔」

白川静『常用字解』
「象形。繳しゃく(いぐるみの紐)の形。弓にいぐるみの紐をからませている形である。のち弔はいぐるみの紐の意味に用いることはなく、戦国時代以後の文献に、“とむらう、いたむ”の意味に用いる」

[考察]
字形の解剖にも意味の取り方にも疑問がある。いぐるみの紐は繳(之若切の音)とはいうが弔(多嘯切の音)とはいわない。二つは言葉としては無関係である。図形としては弔がいぐるみの紐だったとすれば、これがなぜ「とむらう」の意味に用いられるかの理由が説明されていない。またこの意味は戦国時代から始まったというが、事実ではない。次の用例がある。
 原文:顧瞻周道 中心弔兮
 訓読:顧みて周道を瞻(み)る 中心弔(いた)む
 翻訳:道を振り返って見れば [あの人の車は来ず]心がいたむ――『詩経』檜風・匪風
弔は悲しんで気分が重く沈むという意味で使われている。これを古典漢語ではtög(呉音・漢音でテウ)という。これを代替する視覚記号しとして弔が考案された。
上記の文献は周代初期(紀元前11世紀頃)である。弔の語史はきわめて古い。
図形は弔と弟が似ていることに注目したい。弟は「弋+弓」と分析できる。弋は「いぐるみ」である。先端が二股になった棒で、これに紐をつけて発射して、獲物を絡めとる仕掛けになっている道具(狩猟工具)の一種である。弓は「ゆみ」ではなく、紐が巻きついている形。いぐるみの棒(柄の部分)に紐を巻きつけてあると考えられる。棒に巻きつける姿は段々と上に上がっていく情景であろう。つまり弟は「段々と(一段一段と)上に上がる」というイメージを表している。イメージは固定したものではない。視座を上から下へ変えることもできる。視座を変えるなら「上から下へ段々と下がる」というイメージになる。兄弟のうち序列が兄よりも下がった位置にあるのが「おとうと」である。
弟とよく似たイメージを表すために工夫されたのが弔である。弟の弋の部分を|(縦の線、棒)に替えたのが弔。もはや「いぐるみ」ではない。「下から上に段々に上がっていく」状況を示す記号となっている。この場合も視点を自由に変えることができる。上から下への視点ならば「上から下に下がっていく」というイメージである。これは「上から垂れ下がる」というイメージと言い換えることもできる。弔はまさにこのイメージを表す記号である。空間的なイメージは心理的なイメージにも転用できる。だから上記の用法、「悲しんで気分が重く沈む」という意味が実現されたのである。