「眺」

白川静『常用字解』
「形声。音符は兆。兆は卜兆の形で、亀の甲を灼いてできたひび割れは形のそろわないものである。説文に“目、正しからざるなり” とあって、目のまばたきをするという意味である。また、あらぬ方を眺めるという意味もある。のち遠く眺め望むこと、“ながめる”の意味となる」

[考察]
意味の展開の仕方に疑問がある。ひび割れの形→そろわない→正しくない→まばたき→あらぬ方を眺める→遠く眺め望むと展開させるが、合理性がない。眺に「目のまばたきをする」という意味はない。
古典での眺の用例を見てみる。
 原文:是月也、可以遠眺望。
 訓読:是(こ)の月や、以て遠く眺望すべし。
 翻訳:この月には[高い所に登って]遠くながめるのがよい――『礼記』月令
眺は遠くを見渡す意味で使われている。これを古典漢語ではt'ɔg(呉音・漢音でテウ)という。これを代替する視覚記号しとして眺が考案された。
眺は「兆(音・イメージ記号)+目(限定符号)」と解析する。兆については1276「兆」、1279「挑」で述べている。兆は割れ目の図形で、←・→の形のイメージを表すことができる。これは「二つに(左右に、両側に)分ける、割れる、離す」というイメージである。物を見る場合は物の映像を視野に入れる。どんな仕方で視野に入れるかによって見方が違ってくる。映像が視野に現れる(入ってくる)という受動的な見方は見である。対象に注意深く視線を注ぐのは視である。これとは違い、遠くを見るために視野を広げるのが眺である。「左右に分かれる」というイメージのある「兆」を用いて、視野を左右に分けて広く見渡すという意匠を作ったのが眺の図形である。これによって上記の意味をもつt'ɔgとを眺で表記した。