「朝」

白川静『常用字解』
「会意。艸と日と月とを組み合わせた形。草の間に日が出ているが、残月がなおかかる形で、朝あけの時をいう。“あさ、あした” の意味となる」

[考察]
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。朝の字形は「草の間に日が出ているが、残月がなおかかる形」であるから、ここから「あさ」の意味になったという。
意味とは何なのか。字形に意味があるのか。言語学の定義では言葉(記号素)は音と意味の二つの要素からできており、意味は記号素の構成要素、言い換えれば言葉に含まれる概念である。言葉は聴覚記号であり、それを視覚記号に写したのが文字である。二つは全く性質の異なる記号である。線や点で組み立てられた図形は一種の物質である。意味は概念という抽象的、観念的、精神的なものであり、物質である図形にあるわけではない。図形に意味があるというのは錯覚である。図形は言葉を表記するに過ぎない。意味とは「言葉の意味」である。
「草の間に日が出ているが、残月がなおかかる形」から意味が出てくるのではなく、「あさ」の意味をもつ言葉を「草の間に日が出ているが、残月がなおかかる形」の文字を作って表記したのである。「意味→形」の方向に漢字を見るのが正しく、「形→意味」の方向に漢字を見るのは逆立ちしている。白川学説は後者の立場に立つ文字学である。
字形から意味を求めても結果が同じならいいではないかという人がいるかもしれない。しかし字形から意味を求めると、とんでもない意味が出てくる可能性がある。俗説にはこの「とんでもない意味」が多い。例えば「民」は目玉をつぶされた人の形だから、神に奉仕する宗教人とか、酷使される奴隷などといった意味を導く。
さて朝は古典でどのように使われているかを見、意味を確かめることが先決である。意味は文脈に使われている使い方である。意味は文脈を離れては、あるいは文脈がなければ、知りようがない。
①原文:崇朝其雨
 訓読:崇朝其れ雨ふる
 翻訳:朝の間じゅう雨が降る――『詩経』鄘風・蝃蝀
②原文:狐裘以朝
 訓読:狐裘以て朝す
 翻訳:狐の皮衣を着て参内する――『詩経』檜風・羔裘
③原文:沔彼流水 朝宗于海
 訓読:沔ベンたる彼の流水 海に朝宗す
 翻訳:溢れ流れる川の水 海に向かい注ぎこむ――『詩経』小雅・沔水

①はあさの意味、②は朝廷・宮中・役所に向かって行く(参内する)の意味、また朝廷の意味もある。③はある方向に向かうという意味で使われている。古典漢語では①をtiog(呉音・漢音でテウ)、②③をdiog(呉音でデウ、漢音でテウ)という。これらを代替する視覚記号しとして朝が考案された。
tiogもdiogももともと同源で、一つの語が分化したもの。tiog(diogも含む)は③のように「向かう」という意味で使う場合がある。tiogは「中心へ向かう」というコアイメージをもつ言葉であったと考えられる。
古典漢語における一日の時間区分は朝・昼・夜の三区分であるが、図式化すると▯―▯の形である。両側にあるのが夜。活動をする中心の時間帯が昼。昼に移行する時間帯が朝である。つまり「中心へ向かう」というイメージで捉えられる時間がtiogなのである。朝と昼の境目はあいまいで、夜の終わり頃(起き出す時間)と昼(活動し出す時間)の中間、まだ薄暗い頃、未明、朝まだき、明け方(曙・暁・晨・旦)を含む時間が朝である。
朝は「あさ」の意味のほかに②のような朝廷に出向く、朝廷という意味がある。この意味転化をどう理解するか。白川は「殷代には日の出を迎えて朝日の礼を行い、その時に政治上の大事を決定したので、朝政という。それで朝は“まつりごと”の意味となり、朝見・朝廷のようにいう」と述べている。言語外のことから「あさ」→「まつりごと」の意味に転じたという。しかし言語外の事柄は確かな事実とは言えない。意味展開を偶然の要素で説明しようとするもので、必然性・合理性に欠ける。言語内で言語の意味展開を考えるべきである。tiogは「中心へ向かう」というのがコアイメージである。時間的には昼という中心へ向かう時間が「あさ」である。同じように国の中心へ向かうという意味が発生する。これはメタファーによる意味転化である。②は「国の中心(朝廷・宮中・役所)へ向かう」という意味、これから名詞として政治の中心(天子が政治を執る所)の意味に転じる。
ではなぜtiog(diogを含む)を表記するため「朝」という図形が考案されたのか。ここでやっと字源の話になる。字体が時代によって変わった。甲骨文字では「𠦝(草の間から日が出る形)+月」。金文では「𠦝+巛(水の流れ)」で、日の出の頃に潮が満ちてくる情景。篆文では「倝(日が上がる)+舟(進むことを示す符号)」で、太陽が中天に向かって進んで行く情景。隷書では「𠦝+舟(月)」。楷書は隷書を受け継いだ字体だが、偶然にも甲骨文字と同じになった。