「超」

白川静『常用字解』
「形声。音符は召。説文に“跳ぶなり”とあるが、跳ねて越えるので、“こえる、こす” の意味となる」

[考察]
形声の説明原理がなく会意的に説くのが白川漢字学説の特徴であるが、本項では召からの説明がない。会意的な解釈がつかないので、字源を放棄している。
まず古典における用例を調べ、意味を確かめる。
 原文:非挾太山以超北海之類也。
 訓読:太山を挟(わきばさ)みて以て北海を超ゆるの類に非ざるなり。
 翻訳:泰山を小脇に抱えて北海をこえるような類[不可能な話]ではございません――『孟子』梁恵王上
超は物の上を飛び越える意味で使われている。これを古典漢語ではt'iɔg(呉音・漢音でテウ)という。これを代替する視覚記号しとして超が考案された。
超は「召(音・イメージ記号)+走(限定符号)」と解析する。召が語のコアイメージを提供する基幹記号である。どんなイメージか。それには召を分析する。875「召」で既に述べたが、もう一度振り返る。
召は「刀(音・イメージ記号)+口(限定符号)」と解析する。刀は実体に重点があるのではなく形態に重点がある。刀はみねがの形に、あるいは刃がの形に曲がった武器である。刀は「の形やの形に曲がる」というイメージを示す記号になる。一(直線)がの形に曲がると空間的に縮まる(狭くなる)。だから「の形に曲がる」というイメージは「(近くまで)引き寄せる」というイメージにも転化する。口は言葉をしゃべること、言語行為に関わる限定符号である。召は手首をの形に曲げておいでおいでという言葉をかけつつ、A点にあるものをB点に近づけさせる(引き寄せる)状況を暗示させる図形である。(以上、875「召」の項)
召の表層的な意味は「呼び寄せる」であるが、そのコアには「⌒形に曲がる」というイメージがある。走は歩行に関係があることを示す限定符号。したがって超は物の上を⌒の形に曲線を描いて躍り上がる情景を暗示させる図形である。この図形的意匠によって上記の意味をもつt'iɔgを表記する。
漢字の解釈は表層的なレベルでは説明がつかない。深層構造のレベルで解釈する必要がある。形声の説明原理とは深層のレベルで語源的に意味を説明する方法である。