「聴」
正字(旧字体)は「聽」である。

白川静『常用字解』
「会意。耳と𡈼ていと德とを組み合わせた形。𡈼はつま先で立つ人を横から見た形。その上に大きな耳を加え、耳の聡明なこと、神の声を聞くことができることをいう。神の声を聞くことのできる聡明の徳を聴といい、それで“きく”」 の意味となる」


[考察」
𡈼はテイの音だから形声のはず。白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。𡈼(爪先で立つ人)+耳(大きな耳)+德→神の声を聞くことができる聡明な徳→「きく」という意味を導く。
聽に「神の声を聞くことができる聡明な徳」という意味があるだろうか。考えられない。意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。「神の声の声を聞くことができる聡明な徳」は図形の解釈であって意味ではあるまい。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説の全般的な特徴である。
白川漢字学説は言葉という視点がない。意味は言葉抜きでは考えられない。意味は言葉が使われる文脈から出るものである。文脈がなければ意味は知りようがない。聽の用例を古典の文脈から見てみよう。
 原文:凡百君子 敬而聽之
 訓読:凡百の君子よ 敬して之を聴け
 翻訳:もろもろの君子たちよ 慎んで聴くがよい――『詩経』小雅・巷伯
聽は耳を傾けて聴き取る意味で使われている。これを古典漢語ではt'eng(呉音でチヤウ、漢音でテイ)という。これを代替する視覚記号しとして聽が考案された。
日本語では「きく」と「きこえる」は同じ言葉(記号素)の両面であるが、英語ではhearとlistenは違う言葉である。古典漢語でも聞と聴の違いがある。hearは「(聴覚器官が機能して)聞こえる」の意味、listenは「耳を傾ける」がコアイメージだという(『Eゲイト英和辞典』)。聴はlistenに当たる。
聽は「𡈼(音・イメージ記号)+𢛳(イメージ補助記号)+耳(限定符号)」と解析する。𡈼は呈・廷・聖などに含まれる記号で、かかとを上げて立つ人の形であるが、人に重点があるのではなく、「背伸びして立つ」という形態に重点があり、「まっすぐ」「まっすぐ伸びる」というイメージを示す記号となる。𡈼を含む語群には「まっすぐ」というコアイメージが共通である。𢛳は「まっすぐ」というイメージを補強する記号である。これを分析すると「直(音・イメージ記号)+心(限定符号)」となり、まっすぐな心(すなおな心)を表し、直のもつ「まっすぐ」というイメージを受けた記号である。𢛳を重視すると「聡明な徳」という白川説になるが、図形の意匠作りのための補助的記号と見るべきである。なぜなら「きく」という行為と徳とは実質的な意味では関係がないからである。ただし「まっすぐ」というイメージのつながりがある。聴覚と心理で「まっすぐ」というイメージの類似性が見出される。これが𢛳という補助的記号を使う理由である。次に耳は言うまでもなく聴覚と関係のある器官であり、聴覚と関係があることを示す限定符号として使われる。耳を重視すると「耳が聡明」などといった解釈に陥る。
かくて聽の図形的意匠が明らかになった。人(相手)の言うことにまっすぐに耳を傾けてきくという状況の設定である。この意匠を作ることによって、「耳を傾けてきく」という意味をもつt'engという言葉を表記するのである。