「朕」

白川静『常用字解』
「会意。舟と关そうとを組み合わせた形。舟は盤の形で、物を入れるもの。关は両手で物を捧げる形。朕は盤中の物を両手で捧げて人に賸おくるの意味で、賸ようのもとの字である。殷代の王子に子・余・我・朕と称するものがおり、特定の身分称号であったが、のちにそれらがそのまま代名詞となった。朕は“われ” という一人称の代名詞に用いるが、それは音を借りて用いる仮借の用法である」

[考察]
朕は「盤中の物を両手で捧げて人におくる」の意味で、一人称は仮借的用法だという。一方では、朕は特定の身分称号で、それが一人称代名詞になったという。そうすると仮借とは言えない。
だいたい朕に「盤中の物を両手で捧げて人におくる」という意味があったであろうか。そんな意味はあり得ない。これは字形の解釈である。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説の特徴である。朕は最初から一人称代名詞である。
白川は字形を誤って解釈したため、あるいは、一人称の由来の説明がつかないため、仮借説に逃げた。我なども同じことが言える。
では一人称の由来とは何か。古典漢語の一人称には我・吾・卬ゴウの系列と、台イ・余・予の系列がある。前者はコミュニケーションの場を想定し、話し手と聞き手の関係から発想された。後者は行為の主体という観念から一人称が造語された。これらとは違い、朕は一風変わった発想から生まれた一人称である。
字源にヒントが隠されている。朕は「灷ヨウ(音・イメージ記号)+舟(限定符号)」と解析する。灷は「午(杵の形)+廾(両手)」を合わせて、杵を持ち上げる情景である。杵を持ち上げる行為は臼をつく際などに見られる。ただし具体的な行為に重点があるのではなく、「上に上げる」というイメージを示している。舟は盤ではなく「ふね」そのものである。限定符号は図形的意匠を作るための場面設定の働きがある。舟に関する場面を想定し、舟が水の力で水面に浮き上がる情景という意匠を作ったのが朕である。ただしこの場合もそんな意味を表そうとするのではなく、「上(表面)に上がる」というイメージを表すための工夫なのである。
さて朕はどんな一人称なのか。下のものの上に出て存在するもの、つまり君主など地位が万民の上にあるものが朕と称するのである。これを古典漢語ではdiəm(呉音でヂム、漢音でチム)という。これの表記として「上に上がる」というイメージをこめた朕が作られたのである。周代初期の古典に次の用例がある。
 原文:王親命之 纘戎祖考 無廢朕命
 訓読:王親(みづか)ら之に命ず 戎(なんぢ)が祖考を纘(つ)ぎ 朕が命を廃する無かれ
 翻訳:王は自ら命令した 「お前の先祖の業を継ぎ わが命令を拒んではならぬ」――『詩経』大雅・韓奕