「通」

白川静『常用字解』
「形声。音符は甬よう。甬は手桶の形。辵には行くの意味がある。手桶は筒形で空洞のものであるから、滞ることなく通り抜けることを通といい、“とおる、ゆきわたる、いたる、かよう、あまねく”などの意味に用いる」

[考察]
ほぼ妥当な字源説であるが、言葉という視点がなく、ただ字形から意味を導くという欠点がある。というよりも誤った方法である。
「通」では甬(手桶)+辵(行く)→滞ることなく通り抜ける意味と解釈している。「勇」では「甬は手桶の形で、井戸水などがわき出ることを涌という」、「踊」では「甬は手桶の形で、水などがわき出ることを涌という。足を跳ねることを踊という」と述べているが、「滞ることなく通り抜ける」と「湧き出る」と「足を跳ねる」はどんな関係があるのか。意味上のつながりが分からない。これらを統一的に解釈しないと、合理性に欠ける。言葉という視点が必要なゆえんである。
意味は「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。字形から意味は出てこない。意味は言葉の使われる文脈からしか知りようがない。 通の使われる文脈を古典から見てみよう。
①原文:道遠難通。
 訓読:道遠くして通じ難し。 
 翻訳:道は遠く通じにくい――『国語』晋語
②原文:往來不窮、謂之通。
 訓読:往来窮まらず、之を通と謂ふ。
 翻訳:往き来が尽きないことを通というのだ――『易経』繫辞伝上
③原文:晉楚始通。
 訓読:晋楚始めて通ず。
 翻訳:晋と楚は始めて交わった――『春秋左氏伝』僖公三十二年

①は道が滞りなくとおる意味、②は物事がスムーズに突き抜けてとおる意味、③は行き来する(かよう、まじわる)の意味で使われている。これを古典漢語ではt'ung(呉音でツウ、漢音でトウ)という。これを代替する視覚記号しとして通が考案された。
『釈名』に「通は洞なり。貫洞(つらぬく)せざる所無きなり」と語源を説いている。通と洞は同源の語と見てよい。これだけではない。藤堂明保は甬のグループと同のグループ全体が、東のグループ(凍・棟など)、重のグループ(動・種など)、童のグループ(鐘・撞など)、用のグループ(庸など)等々と同じ単語家族を構成し、TUNG・TUKという音形と、「突き通る」という基本義をもつと述べている(『漢字語源辞典』)。これはまことに壮大にして明快な語源説である。この単語家族に属する漢字は30字ほど(実際はもっとある)であるが、すべてが「突き通る」という基本義で説明できるという。ただし基本義という用語は問題がある。義というと意味になってしまうが、言葉の根底をなすものはコアイメージであって、意味ではない。意味とは文脈で実現される具体的な使い方である。だから基本義ではなくコアイメージと称すべきである。
以上は語源の面から通を見た。「突き通る」がt'ungのコアイメージであり、上記の意味が実現されている。ではなぜ t'ungが通と表記されたのか。ここから字源の話になる。
通は「甬ヨウ(音・イメージ記号)+辵(限定符号)」と解析する。甲骨文字では「用+辵」、金文では「甬+辵」となっている。用・甬については諸説紛々で定説がない。 用はᅤの中間にᅡを突き通した図形で、何かという実体は不明だが、内部が突き通っている筒のようなものと考えられる。この用の上に〇または⦿をつけたのが甬である。甬も実体が不明。実体を究明しようとすると袋小路に入ってしまう。 実体にこだわらず象徴的符号と見ることもできる。つまり筒形の丸いものに縦線を突き通した象徴的符号と解したい。この図形的意匠によって、「筒形のもの」「突き通る」「突き抜ける」というイメージを表す記号としたと考えられる。
かくて通の図形的意匠が見えてくる。辵は歩行・進行と関係があることを示す限定符号。当然道とも関係がある。したがって通は道を突き抜けて行く情景、あるいは、道が突き抜けてとおっている情景である。この意匠は上記の①②そのものである。図形的意匠と意味は一致しないことが多いが、通の場合は一致している、(ただし②は比喩的な使い方)。
突き通るのは直線的に一方向で、「→」の形であるが、視点を変えると「←」の形でもあり、双方向もありうる。つまり「⇄」の形である。行ったり来たりすること、つまり「かよう」という意味が生まれる。通学・通勤の通とはこれである。また「⇄」は交差のイメージである。A⇄Bの形、二人が交わるという意味が生まれる。姦通・密通の通はこれである。