常用漢字論―白川漢字学説の検証

白川漢字学説はどんな特徴があるのかを、言語学(記号学)の観点から、常用漢字一字一字について検証する。冒頭の引用(*)は白川静『常用字解』(平凡社、2004年)から。数字は全ての親文字(見出し)の通し番号である。*引用は字形の分析と意味の取り方に関わる箇所のみである。引用が不十分で意を汲みがたい場合は原書に当たってほしい。なお本ブログは漢字学に寄与するための学術的な研究を目的とする。

2016年05月

「餓」

白川静『常用字解』
「形声。音符は我。我はもと鋸の形で、刃にぎざぎざのあるものである。それは餓え衰えた人の、あばら骨がごつごつと飛び出ているような姿を連想させるところがある。食に“うえる” ことを餓という」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の特徴である。鋸のぎざぎざした刃→ごつごつしたあばら骨→食にうえると意味を導く。
意味は字形にあるのではなく、言葉にある。だから漢字を説くにはまず言葉から出発すべきである。
まず餓の用例を調べる。次のような用例がある。
 原文:伯夷叔齊餓于首陽之下。
 訓読:伯夷叔斉、首陽の下に餓う。
 翻訳:伯夷と叔斉の兄弟は首陽山の麓で飢えた――『論語』季氏

食物が乏しくてひもじい思いをする(腹をすかす、うえる)という意味で使われている。これを意味する古典漢語には飢と餓がある。ほぼ似た意味である。飢は「几」、餓は「我」という記号にコアイメージの源泉がある。空腹である、うえるという状態は食物が少ないという結果であるので、「小さい」「わずか」というイメージをもつ「几」を用いて飢が生まれた。飢は原因によって結果に代えるレトリックで造語された。一方逆に、原因を結果で表すレトリックもある。腹をすかすことから体が痩せてごつごつする(あばら骨が浮き出る)という結果を招くこともある。この結果に視点を置いて造語されたのが餓である。「我」は白川の言う通りぎざぎざの刃のある武器の形で、「∧∧∧」の形のイメージ、「ぎざぎざ」のイメージを表すことができる(139「我」を見よ)。だから「我(音・イメージ記号)+食(限定符号)」を合わせた「餓」によって、「うえる」を意味する古典漢語ngarを表記する。 

「雅」

白川静『常用字解』
「形声。音符は牙。隹は小さな鳥の形。説文に“楚烏なり” とあって、雅は烏の一種である。(・・・)雅は牙という烏の鳴き声を隹にそえた字である」

[考察]
擬音語説である。隹(とり)にカラスの鳴き声の牙ガを添えた字だという。擬音語説はあり得ないことではないが、なぜカラスの鳴き声はガで、カーではないのか。なぜ牙という記号を選んだのか。単にガという音だけのつながりだろうか。いろいろ疑問が浮かぶ。
牙を選んだ理由はイメージが大きく関わっていると思う。牙は「∧∨∧∨」の形のイメージ、すなわち「ぎざぎざ」「かみ合う」「食い違う」「交差する」というイメージがある(141「芽」を見よ)。カラス、特にハシブトガラスは、くちばしが大きく、上下のくちばしが∨∧の形にかみ合っている形状に特徴がある。もちろんカラスだけではなく、ほかにもくちばしに特徴のある鳥はいるが、古典漢語ではハシブトガラスやハシボソガラスに対して、その形態的特徴 の一つであるくちばしが大きくかみ合って食い違う特徴を捉えて、ngăgと命名したのである。この語は牙と同音である。獣の牙の特徴も上下の歯が食い違ってかみ合っている。獣の牙とカラスのくちばしにアナロジーを見出して、同じ語で命名したわけである。したがって雅の字源は「牙(音・イメージ記号)+隹(限定符号)」と解析できる。
ハシブトガラスやハシボソガラスは後に楚烏と呼ばれるようになるが、最初の名が雅であった。しかし雅は別の意味に用られ、カラスを表す字は鴉に変わり、音もアとなった。アという音はngăgの語頭子音が取れた語形だが、擬音語に合うように発音されたものと考えられる。アこそ擬音語由来である。
さて雅はカラスの意味からどんな意味に転じたのか。「∧∧」や「∨∨」という形は「角がある」「形がきちんとしている」というイメージがあり、「角立ってきちんとしている」というイメージは「形がきちんとして正しい」というイメージに展開する。これは古典漢語の意味論によく見られる転義現象である。かくて雅は「正しい」という意味、また「上品で美しい(みやびやか)」という意味で使われる。前者は雅楽・雅言の雅、後者は優雅・風雅の雅である。 

「賀」

白川静『常用字解』
「会意。加は力(耒の形)にᄇ(祝詞を入れる器)をそえて、すきを祓い清めて虫の害を防ぐ儀礼をいう。貝は子安貝の形で、生産力を象徴するものと考えられた。それで賀は生産力を高めるために行う儀礼であり、新しい生命を“いわう”儀礼となる」

[考察]
疑問がいくつかある。①加と賀は明らかに音のつながりがあるから、形声文字のはず。②「すき」と「祝詞を入れる器」の組み合わせで、なぜ「虫の害を防ぐ儀礼」の意味になるのか。意味の導き方が突飛であり、必然性がない。③賀に「生産力を高めるために行う儀礼」「新しい生命をいわう儀礼」という意味がありうるのか。

意味とはいったい何なのか。白川漢字学説は形に意味があるとして、形の解釈でもって意味に代える方法である。しかし言葉という視点が全く欠落している。意味とは「言葉の意味」であることは言語学の定義である。言葉を離れて意味はない。
意味は言葉の使い方である。コンテキストから意味を捉え理解するのが唯一の方法である。字形からではない。「賀」は古典でどのように使われているかを見てみよう。
 原文:受天之祜 四方來賀
 訓読:天の祜コを受け 四方来り賀す
 翻訳:[周王は]天の幸いを授かって 四方の国が祝いに来る――『詩経』大雅・下武

賀は喜び事を祝うという意味で使われている。『説文解字』では「礼を以て相奉慶するなり」とあり、段玉裁(清朝の古典学者)は「賀の言は加なり」と注釈している。「賀は加なり」は古人の語源意識でもある。加は「上に乗せる」というコアイメージがある(110「加」を見よ)。礼物や言葉を相手に乗せる(加える)ことが「いわう」ということである。 つまり「めでたいことをいわう」という意味を、いわいの品物を相手の上に乗せる(加える)という発想から造語された言葉である。おくり物をすることを「上に重ねる」というイメージをもつ曾から発想して造語された「贈」とよく似ている。
かくて賀の字源は「加(音・イメージ記号)+貝(限定符号)」と解析する。「加」は「上に乗せる」というコアイメージがある。貝は財貨や品物と関係があることを示す限定符号。限定符号は意味領域を限定したり、意味を暗示させるための場面や情景を設定する役割しかない。重点があるのは限定符号ではなく、音・イメージ記号である。これが語の深層構造と関わっている。品物(財貨)を相手の身の上に乗せる(加える)という状況を設定したのが「賀」という図形である。これ以上の情報は賀の図形にはない。この図形的意匠によって、「いわいの品物を差し上げたり、言葉を述べたりして、おいわいをする」という意味をもつ古典漢語ɦag(呉音はガ、漢音はカ)を表記するのである。
漢字は形→意味の方向に解釈するととんでもない意味が出る可能性がある。つねに古典の実際の用法に立ち返る必要がある。古典で使われる意味が漢字の意味である。それ以前の意味というのは文脈がないかぎり、また言葉がわからないかぎり、推測にすぎず、空想的、想像的なものでしかない。形から意味は出てこない。これが言語学の鉄則である。 

「芽」

白川静『常用字解』
「形声。音符は牙。牙は獣の牙の形で、強くて鋭く曲がった形をしている。草や木の芽も、そのような力を含んで生えてくるので、草かんむりをつけて芽といい、“め、芽ぐむ、きざす ”の意味に用いる」

[考察]
草木の「め」と獣の「きば」が似ているから芽というとするのは正しいだろうか。牙は強くて鋭く曲がった形をしており、「め」はそのような力(強く鋭い力)を含んで生えるという。しかし「め」は弱々しいものではなかろうか。「とげ」ならば「強くて鋭い」と言えなくはないが。

古典漢語で草木の「め」をngăg(呉音はゲ、漢音はガ)といい、「芽」という視覚記号で表記する。これは「牙(音・イメージ記号)+艸(限定符号)」と解析する。
牙は獣の「きば」であるが、「きば」の形態的特徴を図示すると∧∧∧∧の形であり、これは「ぎざぎざ」というイメージである。また上下を合わせると∧∨∧∨の形で、これは「互い違いにかみ合う」というイメージである。牙は「きば」という実体を離れて、「ぎざぎざ」「食い違う」「交差する」というイメージを示す記号となっている。したがって植物茎や枝に新しく出てくるぎざぎざした形の組織体、あるいは茎や枝に互い違いに出てくる組織体を「芽」で暗示させる。 

「画」
正字(旧字体)は「畫」である。

白川静『常用字解』
「会意。聿と田とを組み合わせた形。聿は筆、田は周の最初の形で、周は四角の盾の形。画は盾に模様をえがく”こと、また画かれた“え”をいう」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の特徴である。聿(筆)と田(四角の盾)を合わせた形から、盾に模様をえがくという意味を導く。形の解釈をストレートに意味とするから、余計な意味素が混入する。盾も模様も余計である。
字形から出発するのではなく、言葉から出発しなければいけない。それには古典で 畫がどんな意味で使われているかを調べる必要がある。『説文解字』などでは「畫は界(さかいをつける)なり」と意味を捉えている。『春秋左氏伝』には「畫カクして九州と為す」(九つの州に区切る)という用例がある。周囲を区切る(区切りをつる)が最初の意味である。
畫の解剖は難しいが、篆文を見ると、上部に「聿」、その下に「田」、さらに「田」の左右と上下に四本の線(縦線と横線)がついている(畫の異体字に𤰱がある)。結局畫は「左右上下の線で区切る形(イメージ記号)+聿(イメージ補助記号)+田(限定符号)」と解析できる。聿は筆であり、筆は書いたり区切ったりする道具なので、イメージを補助するための記号となる。田は田に関する場面を作り出すための限定符号である。かくて畫は田の周囲に区切りをつける情景を設定した図形である。この意匠によって、周囲を区切るという意味をもつ古典漢語ɦuĕkを代替する視覚記号とする。
絵画の画の意味は転義である。この意味では言葉の読みも変化する。ɦuĕkの語尾のkがgに変わり、ɦuĕg(呉音はグワ、漢音はクワイ)と発音される。なぜ「え」の意味になったのか。 周囲を区切ることから輪郭をつけて形をなすというイメージに転化し、何もない所に輪郭や図形をえがくという意味が実現され、えがく→え(絵)という意味に転じるのである。 

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