常用漢字論―白川漢字学説の検証

白川漢字学説はどんな特徴があるのかを、言語学(記号学)の観点から、常用漢字一字一字について検証する。冒頭の引用(*)は白川静『常用字解』(平凡社、2004年)から。数字は全ての親文字(見出し)の通し番号である。*引用は字形の分析と意味の取り方に関わる箇所のみである。引用が不十分で意を汲みがたい場合は原書に当たってほしい。なお本ブログは漢字学に寄与するための学術的な研究を目的とする。

2016年10月

「滋」

白川静『常用字解』
「形声。音符は茲。茲を糸たばを並べた形で、ものの多いことをいう。糸たばを水につけることを滋といい、糸たばの量が水を含んで“ふえる” ことをいう」

[考察]
形声の説明原理がなく会意的に説くのが白川漢字学説の特徴である。茲(糸たば)+水→糸たばの量が水を含んでふえるという意味を導く。
滋にこんな意味があるだろうか。古典の用例を見てみよう。
①原文:物生而後有象、象而後有滋。
 訓読:物生じて後象有り、象ありて後滋有り。
 翻訳:物が生じから形ができ、形ができてから数が増える――『春秋左氏伝』僖公十五年
②原文:民多利器、國家滋昏。
 訓読:民利器多くして、国家滋(ますま)す昏し。
 翻訳:人民に文明の利器が多いと、国家はますます暗くなる――『老子』五十七章
③原文:苦雨數來、五穀不滋。
 訓読:苦雨数(しばし)ば来り、五穀滋(しげ)らず。
 翻訳:長雨がすばしば襲い、五穀は茂らない――『呂氏春秋』四月紀
④原文:土地滋潤。
 訓読:土地滋潤なり。
 翻訳:土地は潤って肥えている――『論衡』是応

①は数量がどんどん増える(ますます多い)の意味、②はますますの意味、③は草木がどんどん茂って殖える意味、④は水分がますます殖えてたっぷり潤う意味である。これを意味する古典漢語がtsiəg(呉音・漢音でシ)である。①~③は最初は茲、④は滋の視覚記号で再現されたが、やがて①~③も滋で書き表すようになった。
語源について古人は「子は滋なり」と説いている。子は「小さい」「小さいものが次々に増える」というイメージがある(679「子」を見よ)。王力も子・滋・慈を同源としている(『同源字典』)。藤堂明保は茲のグループ(茲・滋・慈・磁・孳など)全体が子のグループ、曽のグループなどと同源で、TSÊG・TSÊNGという音形と、「ふえる・ふやす」という基本義があるという(『漢字語源辞典』)。
siəgという語の深層構造には「小さいものがどんどん増える(殖える)」というコアイメージがあると言ってよい。このイメージがさまざまな意味領域で認められる。子の意味領域では「子が殖える」(これを孳と書く)、植物の意味領域では「草木が殖える(茂る)」(これを茲と書く)、また水の意味領域もある。これを滋で表すのである。
これらを統括する意味が「どんどん殖える、益す」ということである。語史的に見ると、滋は①②③が古く現れる。これは茲をカバーした用法である。④の意味に展開した段階で、滋の字体が新たに作られた。
滋は「茲シ(音・イメージ記号)+水(限定符号)」と解析する。茲に含まれる[幺+幺]は幺(細い糸)を二つ並べて、「小さいものがもう一つ(次々と)増える」というイメージを示す記号である。これをイメージ記号とし、艸を限定符号とした茲は、草が小さい芽から次々に繁殖する情景を設定した図形。これも「小さいものが増える(殖える)」 というイメージをもつ。かくて滋は水分がますます増える状況を暗示させる。この図形的意匠によって、上記の④の意味を表している。

「時」

白川静『常用字解』
「形声。音符は寺。寺はものを保有し、またその状態を持続するの意味があり、持のもとの字である。手に持ち続けることを持といい、時間的に持続することを時という」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。寺(ものを保有し、その状態を持続する)+日→時間的に持続するという意味を導く。
寺に「物を保有し、またその状態を持続する」という意味はない。寺は貴人の側に侍ってまめに働く人の意味で使われている(727「寺」を見よ)。意味とは文脈における言葉の意味であって、ほかにあるわけではない。
寺の意味を「物を保有し、その状態を持続する」としたのは字形の解釈に過ぎない。つまり意味とは異なる。これから引き出された「時間的に持続する」という意味も同様である。
古典漢語における「とき」の観念はどう捉えられたのか。dhiəg(時)という語の深層構造を探ることによって明らかになる。
時の古文(周代における字体の一種)は旹となっている。この異体字に注目する。日の上部は之と同じで、「之シ(音・イメージ記号)+日」と分析する。之は「まっすぐ進む」というイメージがある(693「芝」、695「志」を見よ)。この之を寺に替えたのが時である。実は寺にも「まっすぐ進む」というイメージがある。寺自体が之を含む。かくてなぜときを意味するdhiəgを表記するために時が考案されたかが明らかになる。
時は「寺(音・イメージ記号)+日(限定符号)」と解析する。寺は「まっすぐ進む」というコアイメージがある(727「寺」を見よ)。したがって時は日が進行する状況を暗示させる。時間を進行のイメージで捉えたのが時であると言える。
ちなみに日本語の「とき」はとく(解く)、つまり「固まっているものがゆるみ、くずれて流動していく意」に由来するという(『古典基礎語辞典』)。「とき」は流動のイメージから来ていると見てよいだろう。また英語のtimeはtide(潮流)と同根だという説がある(『英語語義語源辞典』)。古典漢語の時もこれらと似た発想である。言語の普遍性が感じられる。
 

「持」

白川静『常用字解』
「形声。音符は寺。寺にものを保有し、またその状態を持続するの意味があり、持のもとの字である。手にもち続けることを持という」

[考察]
形声の説明原理がなく会意的に説くのが白川漢字学説の特徴である。しかし寺に「ものを保有し、その状態を持続する」という意味があるだろうか。そんな意味があるとは思えない。寺は貴人の側に侍って働く人の意味で使われている(727「寺」を見よ)。しかし形声の原理は実体に重点を置くのではなく、形態や機能に重点を置く。寺という語の深層構造に掘り下げるのである。
まず古典における持の用例を見てみよう。
①原文:從車持旌。
 訓読:車に従ひ旌を持つ。
 翻訳:車の後について旗を持つ――『周礼』春官・巾車
②原文:持其志、無暴其氣。
 訓読:其の志を持し、其の気を暴にする無かれ。
 翻訳:志をしっかり保って、気力を荒々しくしてはいけない――『孟子』公孫丑上

①は手につかんで持つ意味、②は長くそのままの状態を保つ意味で使われている。これを古典漢語ではdiəg(呉音でヂ、漢音でチ)という。これを代替する視覚記号が持である。
持は「寺(音・イメージ記号)+手(限定符号)」と解析する。寺は「まっすぐ進む」と「じっと止まる」の相反する二つのイメージがある(727「寺」を見よ)。ここでは「じっと止まる」のイメージが用いられる。持は手に物をつかんでじっと止めておく状況を暗示させる図形。この図形的意匠によって①②の意味をもつdiəgを表記する。
ちなみに英語のholdは「一時的におさえておく」というコアイメージから「持つ、つかむ、支える、保つ」の意味に展開し、haveは「所有・経験空間に何かを持つ」というコアイメージから「持っている、いる、ある、手に入れる」などの意味に展開するという(『Eゲイト英和辞典』)。古典漢語の持はhaveよりもholdに近い。

「治」

白川静『常用字解』
「形声。音符は台。台は耜の形である厶に口(ᆸで、祝詞を入れる器の形)を加えた形で、農耕の開始にあたって、耜を祓い清め、豊作を祈る儀礼をいう。治はそのことを水に及ぼして、水を治める儀礼をいう字であろう」

[考察]
「耜を祓い清め、豊作を祈る儀礼」から、なぜ「水を治める儀礼」になるのか、理解できない。「水を治める儀礼」とはどういうものか。これも分からない。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では会意的にも説明ができているとは言い難い。形声の説明原理とは言葉の深層構造に掘り下げて語源的に究明する方法である。
治は古典でどのように使われているかをまず調べる必要がある。次の用例がある。
①原文:禹之治水、水之道也。
 訓読:禹の水を治むるは、水を之れ道(みちび)くなり。
 翻訳:禹の治水の方法は、水のルートに従って導くものである――『孟子』告子下
②原文:綠兮絲兮 女所治兮
 訓読:緑よ糸よ 女(なんじ)の治むる所
 翻訳:緑の色よ その糸よ それはお前がこしらえた[染めた]もの――『詩経』邶風・緑衣
③原文:無爲而治者其舜也與。
 訓読:無為にして治まる者は其れ舜なるか。
 翻訳:何もしないで平和に治まったのは舜の政治であろうか。
④原文:所治愈下、得車愈多。
 訓読:治むる所愈(いよい)よ下れば、車を得ること愈よ多し。
 翻訳:病気を治す場所が汚くなればなるほど、褒美の車が多くもらえる――『荘子』列禦寇

①は川の水を調整する意味、②は程良く手を加えて形を整える意味、③は世の中が乱れないように秩序を整える意味、④は病気の原因を取り去り体の具合を整える意味で、これらを統括するのは「手を加えてうまく調整する」という意味である。これを古典漢語ではdiəg(呉音でヂ、漢音でチ)という。これを代替する視覚記号として治が考案された。
治は「台タイ・イ(音・イメージ記号)+水(限定符号)」と解析する。台は臺とは別字で、始・胎・怠・治・冶・笞・飴などを構成する基幹記号である。699「始」で述べたが、もう一度振り返る。厶は㠯イと同じで、耜の形である。ただし実体に重点があるのではなく機能に重点がある。耜は土を掘り返す道具である。自然に人工を加えるのがその機能である。だから「道具を用いる」「自然に手を加える」「人工を加える」というイメージを厶(㠯)の記号で表すことができる(10「以」を見よ)。「厶イ(音・イメージ記号)+口(場所や物を示すイメージ補助記号)」を合わせた台は、道具を用いて手を加える状況を暗示させる図形である。台も「自然に手を加える」「人工を加える」というイメージを表すことができる。
かくて治の図形的意匠が明らかになる。洪水が起こった場合、川の水があふれないように、人工を加えて調整する情景である。この意匠によって、よくない事態(無秩序、混乱など)に手を加えてうまく調整することを暗示させるのである。

「侍」

白川静『常用字解』
「形声。音符は寺。寺に侍るの意味があり、古くは宮中にあって側近に侍る宦官を寺人といった。のち“はべる、つかえる” という動詞には、にんべんを加えた動詞的な字の侍を用いる」

[考察]
727「寺」では寺は「もつ」の意味で持の原字とあるが、本項では「はべる」の意味で侍の原字としている。不統一である。寺には「もつ」の意味も「はべる」の意味もない。
白川漢字学説には言葉という視点がなく、形声の説明原理がない。言葉の深層構造に掘り下げて、語源的に探求しないと、言葉は正しく理解されない。まず古典から用例を尋ねることが先決である。意味は具体的文脈に現れるものである。
 原文:顏淵季路侍。
 訓読:顔淵季路侍す。
 翻訳:顔回と子路は[孔子の側に]控えて立っていた――『論語』公冶長
侍は身分の高い人や目上の人の側にじっと立って控える(はべる、仕える)という意味である。これを古典漢語ではdhiəg(呉音でジ、漢音でシ)という。これを代替する視覚記号が侍である。 
侍は「寺(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。寺は「まっすぐ進む」と「じっと止まる」の二つのイメージがある(727「寺」を見よ)。ここでは「じっと止まる」のイメージが用いられる。侍は貴人の側にじっと立ち止まる情景を設定した図形である。 

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