常用漢字論―白川漢字学説の検証

白川漢字学説はどんな特徴があるのかを、言語学(記号学)の観点から、常用漢字一字一字について検証する。冒頭の引用(*)は白川静『常用字解』(平凡社、2004年)から。数字は全ての親文字(見出し)の通し番号である。*引用は字形の分析と意味の取り方に関わる箇所のみである。引用が不十分で意を汲みがたい場合は原書に当たってほしい。なお本ブログは漢字学に寄与するための学術的な研究を目的とする。

2016年11月

「飾」

白川静『常用字解』
「会意。飤と巾とを組み合わせた形。飤は人の前に食器のある形で、食べ物、食べるの意味となり、食のもとの字である。その食事のとき、体の前につけている巾(ふきん)を食器にあてて汚れを刷き拭うことを飾といい、“ぬぐう、きよめる”の意味となる」

[考察]
字形の分析を誤っている。飾と食は明らかに音のつながりがあるから形声のはず。「飤+巾」ではなく「食+人+巾」と分析すべきである。飤は食の原字というが、飤は食からできているから原字ではあり得ない。食に「養う」「餌をやる」の意味があり、この場合はシと読む。食シ→飤シ→飼と字体が変化する(719「飼」を見よ)。
飾には飤を含まない。「食ショク(音・イメージ記号)+人(イメージ補助記号)+巾(限定符号)」と解析する。これがどんな意匠をもつかを検討する前に、飾の古典における用例を見てみよう。
①原文:君子不以紺緅飾。
 訓読:君子は紺緅カンシュを以て飾らず。
 翻訳:君子は衣服を紺色や赤色の布で飾らない――『論語』郷党
②原文:羔裘豹飾 孔武有力
 訓読:羔裘に豹の飾り 孔(はなは)だ武にして力有り
 翻訳:黒い羊の皮衣に豹の飾り物 とても勇ましく力が強い――『詩経』鄭風・羔裘
 
①はかざる意味、②はかざり物の意味である。これを古典漢語ではthiәk(呉音でシキ、漢音でショク)という。これを代替する視覚記号として飾が考案された。
飾は上記の通り分析する。食がコアイメージを提供する記号である。食は「自然のものに人工を加える」「手を加える」というイメージがある(944「食」を見よ)。巾は布と関係があることを示す限定符号。飾は布地に手を加えて綺麗にする情景を設定した図形である。手を加えてうわべをよく見せることが「飾る」ということである。うわべを取り繕ってごまかすという意味にもなる。これが扮飾・虚飾の飾である。為(手を加える)から偽(いつわる)へ転義するのと似ている。

「殖」

白川静『常用字解』
「形声。音符は直。説文に殖くさるの意味とする。歹は死者の胸から上の残骨の形。残骨は殖って骨粉となり、肥料としての効果があり、ものを生殖させるので、“ふえる、しげる”の意味となる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では直からの会意的な説明ができない(字源の放棄)。だから限定符号である歹から意味を引き出している。歹は死者の胸の上からの残骨というが、なぜ胸の上の骨だけ残るのか不思議である。死者というからには人間であろう。人間の骨を肥料にするというのも奇妙な話である。
殖は古典で次の用例がある。
①原文:同姓不婚惡不殖也。
 訓読:同姓不婚は殖ゑざるを悪(にく)むなり。
 翻訳:同姓不婚は子孫がふえないことを嫌うのである――『国語』晋語
②原文:賜不受命而貨殖焉。
 訓読:賜は命を受けずして貨殖す。
 翻訳:賜[子貢]は官命を受けないで、財貨を殖やしている――『論語』先進

①は動植物や子孫が次々にふえる意味、②は新しいものが発生してどんどんふえる意味で使われている。これを古典漢語ではdhiәk(呉音でジキ、漢音でショク)という。これを代替する視覚記号として殖が考案された。
殖(dhiәk)は植(dhiәk)から派生した語と考えられる。dhiәk(植)は草木をうえるという意味があり、植物をうえる→生長する→生長してどんどんふえるという意味を派生する。この派生義を表すために殖が作られた。殖は植から分化した字で、「植の略体(音・イメージ記号)+歹(イメージ補助記号)」と解析する。植は「直(音・イメージ記号)+木(限定符号)」を合わせて、木を直線状(まっすぐ)に立てる情景を設定する。「まっすぐに立てる」というイメージから、植物をうえるという意味が生まれる。歹は崩れた骨であるが、人間の骨とは限らない。朽ちて腐ったものは植物の肥料になるから、歹をイメージ補助記号として添えた。かくて殖は、腐ったものを肥料にして植物を植え、それがどんどん生長してふえるということを暗示させる。この図形的意匠によって①②の意味をもつdhiәkを表記した。

「植」

白川静『常用字解』
「形声。音符は直。直は省と乚いんとを組み合わせた形。省は目に飾りをつけ、地方を巡察して不正を取り締まることをいう。乚は隠れるの意味。ひそかに調べて不正をただすことを直といい、ただす、正しい、まっすぐの意味となる。木を樹えるとき、まっすぐに立てることを植という」

[考察]
直の字解と意味に疑問がある。これについては「直」の項で述べる。
直を「まっすぐ」の意味とし、植を「まっすぐ立てる」から「うえる」の意味を導くのは妥当である。形声の説明原理を持たないのが白川漢字学説の特徴であるが、本項は珍しく形声の説明原理に叶っている。ただし字形から意味を導く手法は変わっていない。
字形ではなく言葉から出発すべきである。植は古典で次の用例がある。
①原文:季孫與邑人爭門關、決植。
 訓読:季孫、邑人と門関を争ひ、植を決す。
 翻訳:季孫[人名]は村人と門の錠前を奪い合って、柱を断ち切った――『墨子』非儒
②原文:壤地肥饒則桑麻易植也。
 訓読:壌地肥饒なれば則ち桑麻植ゑ易きなり。
 翻訳:土地が肥えていれば桑と麻は植えやすい――『管子』八観

①は門を閉じるために立てる木の棒や柱の意味、②は草木をまっすぐ立ててうえる意味で使われている。これを古典漢語ではdhiәk(呉音でジキ、漢音でショク)という。これを代替する視覚記号として植が考案された。
植は「直(音・イメージ記号)+木(限定符号)」と解析する。直の古い形は「|(縦線)+目」を合わせて、目を直線的に(まっすぐに)向ける情景を設定した図形。この意匠によって「まっすぐ」のイメージを表すことができる。植は木をまっすぐに立てる情景を設定した図形。この図形的意匠によって上の①②の意味をもつdhiәkを表記する。

「食」

白川静『常用字解』
「象形。食器として使用される𣪘の形。皀きゅうがその器の形で、その器の上に蓋をすると食の形となる。食は食器の中の“たべもの” の意味となる」

[考察]
字形から意味を導くと「食器の中の食べ物」という意味になる。しかしこれは字形の解釈であろう。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説の全般的な特徴である。そうすると余計な意味素が意味の中に含まれることが多い。「食器」は余計な意味素である。
意味とは「言葉の意味」であることは言語学の常識である。言語学では言葉(記号素)は音と意味の結合体と定義される。意味は言葉に内在する概念である。意味は字形から出るのではなく、言葉が使われる文脈から出る。食は次のような文脈で古典に現れる。
①原文:園有棘 其實之食
 訓読:園に棘有り 其の実を之(こ)れ食ふ
 翻訳:園にサネブトナツメが生えていて 酸っぱいその実を食った――『詩経』魏風・園有桃
②原文:自我徂爾 三歲食貧
 訓読:我の爾に徂(ゆ)きし自(よ)り 三歳食貧し
 翻訳:お前さんのもとに嫁いでから 三年間食べ物が貧しかった――『詩経』衛風・氓

①はたべる意味、また、食事をする意味、②は食べ物、また、飯の意味である。これを古典漢語ではdiәk(呉音でジキ、漢音でショク)という。これを代替する視覚記号として食が考案された。
食は「亼+皀」に分析できる。亼は寄せ集めることを示す符号である。皀は卽(=即)・既(=既)・節(=節)にも含まれており、食べ物を器に盛り上げた形。したがって食は食べ物を器の中に集めて盛りつける情景を設定した図形である。これは図形的意匠(図案、デザイン)であって意味ではない。①②の意味をもつdiәkを表記するための図形的な工夫である。
「たべもの」は自然界のものを人工化したものであり、「たべる」という行為は自然界のものを加工して体内に取り込むことである。だからdiәk(食)という言葉には「手(人工)を加える」というコアイメージがあり、式・以・台(治・飴・冶など)と同源の語である。食のコアイメージは飾(手を加えてうわべを飾る)や飭チョク(手を加えて整える)によく生きている。 

「色」

白川静『常用字解』
「会意。人と卩とを組み合わせた形。卩は跪く人の形であるから、人の後ろからまた人が乗る形で、人が相交わることをおいう。色は人が相交わるときのような感情の高揚する意味に用い、むっとして怒った表情になることを気色ばむのようにいう。高揚した感情は表情、顔いろに表れるので、顔いろの意味となる」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。人+卩(跪く人)→人の後ろからまた人が乗る(人が相交わる)→人が相交わる時のような感情の高揚するという意味を導く。
 字形の解釈と意味を混同するのが白川漢字学説の特徴である。「人が相交わる時のような感情の高揚する」というのは字形の解釈であろう。このような意味は色にはない。
意味とは「言葉の意味」であって字形に属する概念ではない。意味は言葉の使われる文脈から判断し理解するものである。色は古典に次の用例がある。
①原文:少之時、血氣未定、戒之在色。
 訓読:少(わか)き時は、血気未だ定まらず、之を戒しむるは色に在り。
 翻訳:若い時は血気がまだ落ち着かないから、性欲を戒めとする――『論語』季氏
②原文:賢賢易色。
 訓読:賢を賢として色を易(あなど)る。
 翻訳:[妻に対しては]賢明さを大切にし、容色は二の次とする――『論語』学而
③原文:令儀令色 小心翼翼
 訓読:令儀・令色あり 小心翼翼たり
 翻訳:姿・顔色はうるわしく 心細やかに恭しい――『詩経』大雅・烝民

①はセックスの意味、②はセクシーな姿(容色、色気)の意味、③は顔に現れた様子(顔色)の意味で使われている。これを古典漢語ではsïәk(呉音でシキ、漢音でソク)という。これを代替する視覚記号として色が考案された。
色は卩(跪く人)を上下に配置した図形である。これは男女がセックスをする姿を暗示させる。この図形的意匠にによって上の①の意味をもつsïәkを表記する。
色情・好色の色が最初の使い方(すなわち意味)である。これから②③の意味に展開する。③から外に現れた物の様子の意味(景色・特色の色)、また、外に現れるいろ(カラー)の意味(色彩の色)を派生する。

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