常用漢字論―白川漢字学説の検証

白川漢字学説はどんな特徴があるのかを、言語学(記号学)の観点から、常用漢字一字一字について検証する。冒頭の引用(*)は白川静『常用字解』(平凡社、2004年)から。数字は全ての親文字(見出し)の通し番号である。*引用は字形の分析と意味の取り方に関わる箇所のみである。引用が不十分で意を汲みがたい場合は原書に当たってほしい。なお本ブログは漢字学に寄与するための学術的な研究を目的とする。

2017年01月

「談」

白川静『常用字解』
「形声。音符は炎。説文に“語るなり” とあり、談笑・戯談のように、日常的な談話をいう。“かたる、はなす、はなし”の意味に用いる」

[考察]
談は「日常的な談話」の意味というだけで、字形から意味引き出すことができないので、 字源を放棄している。
古典における談の用例を見る。
 原文:憂心如惔 不敢戲談
 訓読:憂心惔(や)くが如し 敢へて戯談せず
 翻訳:胸を焼くようなわが憂い 冗談をいう気もしない――『詩経』小雅・節南山
談はしゃべる意味で使われている。これを古典漢語ではdam(呉音でダム、漢音でタム)という。これを代替する視覚記号しとして談が考案された。
談は「炎(音・イメージ記号)+言(限定符号)」と解析する。炎は淡にも使われている。 炎は火を二つ重ねた形で、「ほのお」を表す。しかし実体に重点があるのではなく形態・機能に重点がある。炎は火の先端がめらめらと揺れながら燃えることから、「薄っぺらなものがゆらゆらする」というイメージがある。「薄い」は視覚的イメージだが、淡では触覚や味覚のイメージに転用されている。味が薄いことを淡という。食べるという身体の動作に転用されることもある。薄っぺらな舌を動かして物を食べる行為を啖(くらう)という。談もまさにこれと似たイメージをもつ語である。薄っぺらな舌(あるいは唇)を動かしてしゃべる行為が談である。
 

「暖」

白川静『常用字解』
「形声。音符は爰。説文に煖の字をあげているが、煖は煗と同字。おそらく 煗が最初の字であろう。煗は音符は耎ぜん。耎は頭髪を切った巫祝を正面から見た形。飢饉のとき、巫祝を焚いて雨乞いをする儀礼がある。煗・煖・暖は“あたたか、あたたかい、あたためる”の意味に用いる」

[考察]
証拠のない習俗を持ち出して暖の意味を導いている。なぜ巫女を焼き殺すことから「あたたかい」の意味が出るのか、不自然である。「焚く」か「焼き殺す」のような意味になりそうなものである。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法であるが、誤った方法と言わざるを得ない。というのは意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではないからである。意味は字形から出るものではなく、言葉の使われる文脈から出る。文脈がなければ意味を知りようがない。古典では暖は次の文脈がある。
 原文:何所冬暖
 訓読:何(いづ)れの所か冬暖かなる
 翻訳:冬も暖かいという所はどこにあるのか――『楚辞』天問

暖は「(気温が)あたたかい」の意味であることは明白。これを古典漢語では*nuan(呉音でナン、漢音でダン)という。これを代替する視覚記号として暖が考案された。
古くは煗・煖とも書かれた。煗→煖→暖という字体の変化が考えられる。耎は軟(その古字)にも使われる記号である。而は「柔らかい」というイメージを表し(1186「耐」を見よ)、大は「ゆったりしている」というイメージがある(1200「大」を見よ)。耎は「(固さや締めつけがなく)ゆったりとして柔らかい」というイメージを示す記号である。煗は火の熱によって体があたためられ、固さがほぐれて柔らかくなる状況を暗示させる図形。次に耎を爰に入れ替える字体になった。爰は緩にも使われ、「間を開けてゆったりさせる」というイメージを示す記号(239「緩」を見よ)。これは空間的なイメージだが、「緊張した状態を緩める」という身体的・心理的なイメージにも転用される。煖は寒さで緊張した心身を火気であたためて、ゆったりさせる状況を暗示させる。火から日に替えたのが暖で、「爰エン(音・イメージ記号)+日(限定符号)」と解析する。日光の熱気によって心身の緊張を緩める状況を暗示させる図形である。煗・煖・暖の三つとも図形的意匠が似ており、「あたたかい」の意味をもつnuanを表記できる。
 

「弾」
正字(旧字体)は「彈」である。

白川静『常用字解』 
「形声。音符は單(単)。甲骨文字の字形には、弓の弦の中間に〇を加えて弾丸をはじく形の字があり、弾丸をはじくの意味を示す。それで“はじく、うつ、たま、はじくたま”の意味 となる」

[考察]
甲骨文字から彈を解釈しているが、弦と見る説や禅と見る説もあり、「弾丸をはじく」の意味とは断定できない。それよりも彈の字源はどうなのか。白川は單からの会意的解釈ができないので、彈の字源を放棄している。
古典における彈の用例を見てみる。
①原文:捐彈而反走。
 訓読:弾を捐(す)てて反り走る。
 翻訳:はじき弓を捨てて、身を翻して逃げた――『荘子』山木
②原文:見彈而求鴞炙。
 訓読:弾を見て鴞炙キョウシャを求む。
 翻訳:はじき弓の弾を見て、フクロウの焼き肉を求める――『荘子』斉物論

①ははじき弓の意味、②ははじき弓のたまの意味で使われている。これを古典漢語ではdan(呉音でダン、漢音でタン)という。これを代替する視覚記号しとして彈が考案された。
はじき弓(弾弓)というのは球形のたまを飛ばして獲物を射る弓である。これを彈という。
字源は「單(音・イメージ記号)+弓(限定符号)」と解析する。單については1220「単」、1084「戦」で述べたがもう一度振り返る。單は獸にも含まれており、狩猟と関係がある。單は網に似た狩猟用具の図形である。ただし実体に重点があるのではなく、形態や機能に重点がある。網のような形態から「平ら」「薄く平ら」というイメージを表すことができる。薄いものはひらひら(ぶるぶる)と振動するから、「ひらひらと震え動く」というイメージに転化する。單はこのようなイメージを表す記号である。したがって彈は弦を震わせてたまをはじき飛ばす弓を暗示させている。これで上記の①と②の意味をもつdanを表記するのである。
 

「断」
正字(旧字体)は「斷」である。

白川静『常用字解』
「会意。 㡭けいは織機にかけた糸を二つに断ち切っている形。斤はその糸を断ち切った斤おの。糸を断ち切ることを断といい、のちすべて“たつ、たちきる、きる”に意味に用いる」

[考察]
織機にかけた糸をなぜ断ち切るのか、よく分からない。また断は「糸を断ち切る」の意味だろうか。これは字形の解釈であって意味ではない。糸は意味素に入らないだろう。
字形の解析にも問題がある。篆文を見ると㡭ではなく𢇍(㡭の鏡文字)になっている。𢇍は絶の古文(異体字の一つ)である。これが古い字体で、㡭はこれから派生した字で、繼(つぐ、つなぐ)に使われている。「断つ」「断つ」と「継ぐ」はちょうど反対の意味である。鏡文字の役割は反対の意味・イメージを作ることにある。そういうわけで斷は𢇍から解釈すべきである。
𢇍は幺を上に二つ配置し、下に二つ配置し、それの中間にᖵ(=刀)を差し入れた図形である。この意匠によって、糸を断ち切る様子を暗示させる(438「継」、1068「絶」を見よ)。斷の左側は楷書では㡭になっているが、篆文では𢇍になっている。斷は『詩経』に出ており、語史が古い。
 原文:七月食瓜 八月斷壺
 訓読:七月瓜を食ひ 八月壺コを断つ
 翻訳:七月にはウリを食べ 八月にはヒョウタンの蔓を切る――『詩経』豳風・七月
斷は断ち切る意味で使われている。これを古典漢語ではduan(呉音でダン、漢音でタン)という。これを代替する視覚記号しとして斷が考案された。
斷は「𢇍(イメージ記号)+斤(限定符号)」と解析する。𢇍は上記の通り絶の古文であり、「切れ目をつける」というイメージを表すため、糸を断ち切ることを暗示させる図形が工夫された。斤は斧などの刃物と関係があることを示す限定符号。したがって斷は斧を振り下ろして糸を断ち切る情景を設定した図形である。これは図形的意匠であって意味そのものではない。意味は文脈で実際に使われる意味、上記のように「断ち切る」という意味である。 

「段」

白川静『常用字解』
「会意。殳は杖のような長いほこを手に持つ形で、打つの意味がある。Aは粗金の形で、粗金を打ってきたえることを段といい、段は鍛のもとの字である。粗金の形は層をなしているので、層のあるもの、層に分かれているものを、“だん” という」
A=「段-殳」(段の左側)

[考察]
なぜA(段の左側)が粗金なのかさっぱり分からない。金属の形には見えない。鍛が金属を鍛える意味だから、段も金属と関連づけて、段の左側を粗金としたのであろう。
意味の展開もおかしい。なぜ粗金から「層のあるもの、段々」の意味が出るのか。粗金は層をなすものだろうか。意味の展開に必然性・合理性がない。
古典における段の用例を見てみよう。『周礼』考工記に段氏という職人が出ており、これは鋳造技術者とされている。それより古く『詩経』大雅・公劉に「厲を取り鍛を取る」(砥石・鎚を切り出した)とあり、鍛は打たたくための石の意味で使われているから、段に「打ち叩く」の意味があったと考えられる。階段・段落などの意味は後世に出現する。この意味はなぜ生まれたのか。これを考える。
段の語源については『釈名』(後漢、劉熙撰)に「段は断なり。分けて異段と為すなり」とあり、段と断を同源とする。段には「上から下に打ち下ろしてたたく」というイメージと、「切れ目を入れて分ける」というイメージがある。図示すると↓の形と、▯↓▯の形である。
次に字源を見る。金文は「厂(がけ)+二+殳(打つ・たたく)」を合わせた字形で、崖や斜面に切れ目(段々)をつける情景を設定したもの。篆文では「厂+二」がA(段の左側)に変形した。だから「A(イメージ記号)+殳(限定符号)」となった。したがって段はとんとんと上から下にたたいて切れ目をつける情景と解釈できる。この行為の前半に視点を置くと「とんとんと上から下にたたく」というイメージ、後半に視点を置くと「一段一段と切れ目をつける」というイメージになる。前者から鍛(きたえる)が実現され、後者から物事の一区切りの意味が実現される。
以上によってなぜ段落や階段の意味に転じたかの理由が明らかになった。言葉の内的な論理構造(意味構造、深層構造)によって意味は展開するのである。粗金が層をなしているからという外的な理由によるのではない。

↑このページのトップヘ