「都」
白川静『常用字解』
「形声。音符は者。者は曰(ᄇの中に神への祈りの文である祝詞を入れた形)の上に木の枝を重ね、その上に土をかけて作ったお土居(土の垣)で、外部からの侵入者に備えて作られた 。阝は邑で、城中に人がいる形であるから、集落、むらの意味となる。周囲にめぐらしたお土居で守られている大きな集落を都といい、“みやこ”の意味となる」
[考察]
者の解釈の疑問については759「者」で述べたが再引用する。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。交叉させた木の枝+曰(祝詞)→お土居という意味を導く。字形の解剖にも意味の取り方にも疑問がある。祝詞は祈りをする口唱の言葉で、聴覚言語であるのに、なぜ器に入れるのか。この器の上に木の枝を重ねるとはどういうことか。これからなぜ「お土居」という意味が出てくるのか。また、「お土居」の意味から、なぜ「もろもろ」や「もの」の意味に転じるのか。すべて疑問である。字形から意味を求めると、図形的解釈と意味が混同され、あり得ない意味が生まれる。意味とは「言葉の意味」であって、字形に求めるべきではなく、言葉が使われる文脈に求めるべきである。(以上、759「者」の項)
都についての疑問もこれと同じ。なぜ「者(お土居)+邑(むら)」から「みやこ」の意味が出るのか。「むら」の意味であってもおかしくない。要するに意味の展開に必然性がない。
都に「周囲にめぐらしたお土居で守られている大きな集落」といった意味はあり得ない。意味は字形から出るのではなく、言葉の使われる文脈に求めるべきである。文脈における言葉の使い方が意味にほかならない。古典で都は次のような文脈で使われている。
①原文:孑孑干旟 在浚之都
訓読:孑孑ケツケツたる干旟 浚の都に在り
翻訳:ぽつんと立てた旗竿が 浚の町に現れた――『詩経』鄘風・干旄
②原文:皇父孔聖 作都于向
訓読:皇父は孔はなはだ聖 都を向ショウに作る
翻訳:皇父[人名]はとても賢く 向[地名]で都を作った――『詩経』小雅・十月之交
①は人々が集まる大きな町の意味、②は国の中心の町(みやこ)の意味で使われている。これを古典漢語ではtag(呉音でツ、漢音でト)という。これを代替する視覚記号しとして都が作られた。
都は「者(音・イメージ記号)+邑(限定符号)」と解析する。者については759「者」で述べたのでこれも再引用する。
者の字源については諸説紛々だが、煮の原字とする藤堂明保の説が妥当である。者は器(こんろの類)の上で薪を集めて燃やす情景を設定した図形と解釈できる。木の間に点々があるのは火が燃えている様子を表している。曰は容器の形である。この図形的意匠によって、「多くのものを一つの所に集める」というイメージを表すことができる。多くのものが集まれば、間隔が詰まり、密着した状態になるので、「くっつける」「くっつく」というイメージにも展開する。者のグループ(者・煮・暑・署・書・緒・諸・著・着・都・賭・箸・渚・猪・儲など)にはこのコアイメージが共通にある。(759「者」の項)
者は「多くのものを一つの所に集める」「一つの所に集中する」「一か所に定着する」「くっつく」などのイメージを表す記号である。邑は村・町など人が住む比較的大きな区域に関係があることを示す限定符号。限定符号は意味領域を指示するためのメタ記号である。したがって都は多くの人々が集中する居住地を暗示させる図形となっている。この意匠によって上の①②の意味をもつtagという言葉の表記とした。
白川静『常用字解』
「形声。音符は者。者は曰(ᄇの中に神への祈りの文である祝詞を入れた形)の上に木の枝を重ね、その上に土をかけて作ったお土居(土の垣)で、外部からの侵入者に備えて作られた 。阝は邑で、城中に人がいる形であるから、集落、むらの意味となる。周囲にめぐらしたお土居で守られている大きな集落を都といい、“みやこ”の意味となる」
[考察]
者の解釈の疑問については759「者」で述べたが再引用する。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。交叉させた木の枝+曰(祝詞)→お土居という意味を導く。字形の解剖にも意味の取り方にも疑問がある。祝詞は祈りをする口唱の言葉で、聴覚言語であるのに、なぜ器に入れるのか。この器の上に木の枝を重ねるとはどういうことか。これからなぜ「お土居」という意味が出てくるのか。また、「お土居」の意味から、なぜ「もろもろ」や「もの」の意味に転じるのか。すべて疑問である。字形から意味を求めると、図形的解釈と意味が混同され、あり得ない意味が生まれる。意味とは「言葉の意味」であって、字形に求めるべきではなく、言葉が使われる文脈に求めるべきである。(以上、759「者」の項)
都についての疑問もこれと同じ。なぜ「者(お土居)+邑(むら)」から「みやこ」の意味が出るのか。「むら」の意味であってもおかしくない。要するに意味の展開に必然性がない。
都に「周囲にめぐらしたお土居で守られている大きな集落」といった意味はあり得ない。意味は字形から出るのではなく、言葉の使われる文脈に求めるべきである。文脈における言葉の使い方が意味にほかならない。古典で都は次のような文脈で使われている。
①原文:孑孑干旟 在浚之都
訓読:孑孑ケツケツたる干旟 浚の都に在り
翻訳:ぽつんと立てた旗竿が 浚の町に現れた――『詩経』鄘風・干旄
②原文:皇父孔聖 作都于向
訓読:皇父は孔はなはだ聖 都を向ショウに作る
翻訳:皇父[人名]はとても賢く 向[地名]で都を作った――『詩経』小雅・十月之交
①は人々が集まる大きな町の意味、②は国の中心の町(みやこ)の意味で使われている。これを古典漢語ではtag(呉音でツ、漢音でト)という。これを代替する視覚記号しとして都が作られた。
都は「者(音・イメージ記号)+邑(限定符号)」と解析する。者については759「者」で述べたのでこれも再引用する。
者の字源については諸説紛々だが、煮の原字とする藤堂明保の説が妥当である。者は器(こんろの類)の上で薪を集めて燃やす情景を設定した図形と解釈できる。木の間に点々があるのは火が燃えている様子を表している。曰は容器の形である。この図形的意匠によって、「多くのものを一つの所に集める」というイメージを表すことができる。多くのものが集まれば、間隔が詰まり、密着した状態になるので、「くっつける」「くっつく」というイメージにも展開する。者のグループ(者・煮・暑・署・書・緒・諸・著・着・都・賭・箸・渚・猪・儲など)にはこのコアイメージが共通にある。(759「者」の項)
者は「多くのものを一つの所に集める」「一つの所に集中する」「一か所に定着する」「くっつく」などのイメージを表す記号である。邑は村・町など人が住む比較的大きな区域に関係があることを示す限定符号。限定符号は意味領域を指示するためのメタ記号である。したがって都は多くの人々が集中する居住地を暗示させる図形となっている。この意匠によって上の①②の意味をもつtagという言葉の表記とした。