常用漢字論―白川漢字学説の検証

白川漢字学説はどんな特徴があるのかを、言語学(記号学)の観点から、常用漢字一字一字について検証する。冒頭の引用(*)は白川静『常用字解』(平凡社、2004年)から。数字は全ての親文字(見出し)の通し番号である。*引用は字形の分析と意味の取り方に関わる箇所のみである。引用が不十分で意を汲みがたい場合は原書に当たってほしい。なお本ブログは漢字学に寄与するための学術的な研究を目的とする。

2017年08月

「弁(辯)」

白川静『常用字解』
「形声。音符は辡べん。辡は、もし誓約にそむくときは入れ墨の刑罰を受けますという意味で、辛(入れ墨をするときに使う針の形)を二つ並べた形で、裁判にあたって原告と被告が誓約して争うことをいう。言は神への誓いのことば。原告と被告が言い争うことを辯という。“いいあらそう、あらそう、たくみにいう、おさめる” などの意味に用いる」

[考察]
字形の解釈にも意味の取り方にも疑問がある。辛(入れ墨用の針)を二つ並べて、なぜ「もし誓約にそむくときは入れ墨の刑罰を受けます」という意味になるのか、またなぜ「裁判にあたって原告と被告が誓約して争う」という意味になるのか、よく分からない。また言が「神への誓いのことば」の意味というのも疑問(489「言」を見よ)。また辯が「原告と被告が言い争う」の意味というのも疑問。「神への誓いのことば」がこれとどう関わっているのかの説明もない。疑問だらけの字源説である。
辯の古典での用例を見てみよう。
 原文:善者不辯、辯者不善。
 訓読:善なる者は辯ぜず、辯ずる者は善ならず。
 翻訳:善人は議論せず、議論する者は善人ではない――『老子』第八十一章
辯は是非をはっきりさせようと議論する(理屈を立てて話す)という意味で使われている。これを古典漢語ではbian(呉音でベン、漢音でヘン)という。これを代替する視覚記号しとして辯が考案された。
辨が先に発生し、辯は辨から派生・展開する語である。辨については1653「弁(辨)」で述べたが再掲する。

辨は「辡ベン(音・イメージ記号)+刀(限定符号)」と解析する。辡は「辛(刃物)+辛」を合わせて、二つに切り分けることを示す記号である。これに刀を添えた辨は刀で二つに切り分ける状況を示している。これは図形的意匠であって意味ではない。刀で両断することを比喩として、あいまいな事態・状態を二つに分けてはっきりさせることを表そうとする。これによって、是非・善悪などの違いを分けて区別する意味、見分けてはっきりさせる意味が実現される。(以上、1653「弁(辨)」の項)

物事の是非・善悪などを分けてはっきりさせることから、言葉で善し悪しをはっきりさせるという意味が生まれる。これを表すために作られたのが辯である。辯は「辡(音・イメージ記号)+言(限定符号)」と解析する。辡は「二つに分ける」というイメージを示す記号。言は言葉と関係があることを示す限定符号。したがって辯は言葉で善し悪しを分けてはっきりさせることを表している。この意匠によって上の用例にあるbianという語を表記する。

「弁(瓣)」

白川静『常用字解』
「形声。音符は辡べん。説文に“瓜中の実なり”とあって、瓜の中の“たね”をいう。のち“はなびら”の意味に用いる」

[考察]
辡は1653「弁(辨)」では「辛(入れ墨用の針)を二つ並べた形で、裁判にあたって原告と被告が誓約して争うこと」と解釈している。本項ではこれを用いていない。用いようがないからだろう。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では会意的な説明をしていない。白川漢字学説に自らそむいている。
瓣は「辡(音・イメージ記号)+瓜(限定符号)」と解析する。辡は「辛(刃物)+辛」を合わせて、「二つに切り分ける」というイメージを示す記号である(1653「弁(辨)」を見よ)。「二つに分ける」というイメージを図示すると、▯-▯の形。これは視点を変えると「二つ並ぶ」のイメージともなる。▯-▯が連鎖すると▯-▯-▯-▯の形。これは「次々に順序よく並ぶ」というイメージになる。瓜はウリと関係があることを示す限定符号。したがって瓣はきれいに並ぶウリのさねを暗示させる。また「順序よく(きれいに)並ぶ」というイメージから、重なり合って並んでいる花びらという意味を派生する。

「弁(辨)

白川静『常用字解』
「形声。音符は辡べん。辡は、もし誓約にそむくときは入れ墨の刑罰を受けますという意味で、辛(入れ墨をするときに使う針の形)を二つ並べた形で、裁判にあたって原告と被告が誓約して争うことをいう。刀(刂)はものを二つに分けるときに使う。原告・被告双方の主張を分明にして訴訟を“さばく” ことを辨という」

[考察]
辛(入れ墨用の針)を二つ並べて、なぜ「もし誓約にそむくときは入れ墨の刑罰を受けます」という意味になるのか、また「裁判にあたって原告と被告が誓約して争う」という意味になるのか、よく分からない。また辨に「原告・被告双方の主張を分明にして訴訟をさばく」という意味があるのか。こんな意味は辨にないだろう。1655「弁(辯)」でも辨と解釈がある。白川は辨と辯を混同している。
白川漢字学説は言葉という視点がなく、字形からのみ意味を導く方法である。だから字形の恣意的な解釈に陥りやすい。辛を二つ並べて「もし誓約にそむくときは入れ墨の刑罰を受けます」の意味だというのは、あまりにも勝手な解釈である。字形の解釈をストレートに意味とし、図形的解釈と意味を混同するのも白川漢字学説の全般的特徴である。
意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。言葉の使われる具体的文脈からしか出てこない。文脈における言葉の使い方が意味である。辨の用例を古典から見よう。
①原文:君子以族類辨物。
 訓読:君子は族類を以て物を辨ず。
 翻訳:知識人は似たものでもって物の違いを区別する――『易経』同人
②原文:子張問崇德辨惑。
 訓読:子張、徳を崇(たか)くし惑ひを辨べんずるを問ふ。
 翻訳:子張は、徳を高め、迷いをはっきりさせる方法を質問した――『論語』顔淵

①は是非・善悪などの違いを分けて区別する意味、②は見分けてはっきりさせる意味で使われている。これを古典漢語ではbian(呉音でベン、漢音でヘン)という。これを代替する視覚記号しとして辨が考案された。
辨は「辡ベン(音・イメージ記号)+刀(限定符号)」と解析する。辡は「辛(刃物)+辛」を合わせて、二つに切り分けることを示す記号である。これに刀を添えた辨は刀で二つに切り分ける状況を示している。これは図形的意匠であって意味ではない。刀で両断することを比喩として、あいまいな事態・状態を二つに分けてはっきりさせることを表そうとする。かくて上記の①②の意味をもつbianを辨で表記するのである。
日本では辨・辯・瓣を弁に統合した。今では弁しか使われないので、辨・辯・瓣の違いが分からなくなった。現代中国では四つとも区別している。 

「編」

白川静『常用字解』
「形声。音符は扁。扁は片開きの編み戸の形。説文に“簡を次するなり” とあって、竹簡・木簡を順次に綴じてゆくこと、一片ずつを編んでゆくことをいう」

[考察] 
扁は「戸+冊」の会意文字であって、「片開きの編み戸」の象形文字ではない。扁にそんな意味はない。また、「片開きの編み戸」からなぜ「竹簡・木簡を順次に綴じてゆく」という意味が出るのか、よく分からない。
白川漢字学説は形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。本項では扁から会意的に説明できているとは言い難い。字源説として不十分である。
古典の用例から編の意味を確かめるのが先になされるべきことである。字源はその後である。
①原文:法者編著之圖籍、設之於官府、而布之於百姓者也。
 訓読:法なる者は之を図籍に編著し、之を官府に設け、而して之を百姓に布(し)く者なり。
 翻訳:法はこれを書き著して書籍に編集して役所に備え、それから人民に公布すべきである――『韓非子』難三
②原文:以羽爲巢而編之以髮。
 訓読:羽を以て巣を為りて之を編むに髪を以てす。
 翻訳:[その鳥は]羽で巣を造り、編むのに髪を用いる――『荀子』勧学

①は紐で竹簡・木簡をつないで書物にする意味、②は糸や紐を綴じ合わせる(あむ)の意味で使われている。これを古典漢語ではpān (呉音・漢音でヘン)という。これを代替する視覚記号しとして編が考案された。
編は「扁(音・イメージ記号)+糸(限定符号)」と解析する。扁については1650「偏」で述べたが、もう一度振り返る。
扁は「戸+冊」に分析できる。戸は薄い板をつないで作ったもの。冊は薄く平らに削った竹簡や木簡を綴ったもの。戸も冊も薄く平らなものをつないだものだが、戸はイメージだけを取り、冊はイメージ記号と限定符号を兼ねると見る。だから「戸(イメージ記号)+冊(イメージ補助記号/限定符号)」と解析する。限定符号とは意味領域と関わることを示す働きのほかに、図形的意匠作りの場面設定の働きもある。竹簡・木簡を綴る場面、つまり文字を書いた札を編集する場面が設定される。かくて扁は薄く平らな竹簡・木簡を綴る情景と解釈できる。ただし竹簡・木簡を綴るという意味は編で実現させ、扁は「薄く平ら」という意味を表すのである。(以上、1650「偏」の項)
以上で編の字源の説明は十分だろう。
 

「遍」

白川静『常用字解』
「形声。音符は扁。扁は片開きの編み戸の形。扁はかたよる、一方の意味であるが、歩く、行くの意味のある彳・辵を加えた徧・遍は“あまねし(広くゆきわたっている)、ゆきわたる”の意味に用いる」

[考察]
扁は「戸+冊」に分析できるのに、「片開きの編み戸」の象形文字には見えない。また扁に「かたよる、一方」という意味はない。なぜ「かたよる、一方」の意味から「ゆきわたる」 の意味になるのか。「片寄る」と「行き渡る」は意味が反対ではないか。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では扁から会意的に説明できているとは言い難い。不十分な字源説である。
遍は古典に次の用例がある。
 原文:議寡人者遍天下。
 訓読:寡人を議する者天下に遍(あまね)し。 
 翻訳:私のこととやかく言う者が世界中にいっぱいだ――『戦国策』燕策
遍は全体にくまなく行き渡るという意味で使われている。これを古典漢語ではpian(呉音・漢音でヘン)という。これを代替する視覚記号しとして遍が考案された。
遍は「扁(音・イメージ記号)+辵(限定符号)」と解析する。扁については1650「偏」で述べた通り、「平らに広がる」というイメージがある。中心から広がっていく空間を想定する。広がりの終点に視点を置いたのが偏で、「中心からそれて一方にかたよる」という意味が実現された。一方、広がりの過程に視点を置くと「全体に行き渡る」というイメージが生まれる。辵は進行・歩行に関係があることを示す限定符号。したがって遍はすみずみまでくまなく行く状況を示す。この意匠によって、上記の「全体にくまなく行き渡る」という意味をもつpianを表記する。 

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