常用漢字論―白川漢字学説の検証

白川漢字学説はどんな特徴があるのかを、言語学(記号学)の観点から、常用漢字一字一字について検証する。冒頭の引用(*)は白川静『常用字解』(平凡社、2004年)から。数字は全ての親文字(見出し)の通し番号である。*引用は字形の分析と意味の取り方に関わる箇所のみである。引用が不十分で意を汲みがたい場合は原書に当たってほしい。なお本ブログは漢字学に寄与するための学術的な研究を目的とする。

2017年12月

「励」
正字(旧字体)は「勵」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は厲。厲は厂と萬(万)とを組み合わせた形で、厂は山の崖の形、萬は蠆さそりの類であろう。 崖の下の秘密の所で蠆のような虫を使うまじないの儀礼を行うことを厲といい、はげしい、はげむ、つよい、わるいなどの意味となる。力は耒すきの形であるから、耒で田畑を耕すことにはげむことを勵といい、“はげむ、はげます”の意味となる」

[考察]
 字形の解釈にも意味の取り方にも疑問がある。厲は「崖の下の秘密の所で蠆のような虫を使うまじないの儀礼を行う」という意味があるだろうか。サソリを使う呪いの儀礼とは何のことか。また勵は「耒で田畑を耕すことにはげむ」という意味があるだろうか。こんな意味はない。意味はただ「はげむ」である。力を鋤と見るから農耕が出てくる。1657「勉」では「農業の仕事につとめる」、1753「務」では「農耕につとめる」、1364「努」では「しもべが農耕に勤めはげむ」、387「勤」では「農耕につとめて飢饉を免れようと努力する」の意味とする。「つとめる」をすべて農耕と関連づけている。勉・務・努・勤の違い、またそれらと励の違いが曖昧模糊としている。
白川漢字学説は字形から意味を導くことを方法論とするから、意味とは何かが分からない。意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。意味は字形から出るのではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。古典における励の使い方を見る。
 原文:赦過遺善則民不勵。
 訓読:過ちを赦し善を遺(わす)るれば則ち民励まず。 
 翻訳:[君主が]罪あるものを許し、恩を施し忘れたら、人民ははげまなくなるだろう――『管子』法法 
勵は強い力を出してつとめる(はげむ) の意味で使われている。また、相手を力づけてやる(奮い立たせる、はげます)の意味もある。これを古典漢語ではliad(推定。呉音でライ、漢音でレイ)という。これを代替する視覚記号として勵が考案された。
勵は「厲レイ(音・イメージ記号)+力(限定符号)」と解析する。厲は「厂+萬」に分析する。萬はサソリを描いた図形である(1740「万」を見よ)。 ただしサソリという実体に重点があるのではなく形質や生態に重点がある。サソリは猛毒をもつので「激しい」というイメージを表すことができる。厂は崖の形であるが、石にも含まれており、石と関係のあることを示す限定符号ともなる。厲は「萬(イメージ記号)+厂(限定符号)」と解析する。激しく摩擦させて刃物を研ぐ石を暗示させる図形である。礪(といし)の原字。厲は「激しい」というイメージを示す記号となる。力は「ちから」と関係があることを示す限定符号。したがって勵は激しく力をこめることを暗示させる。

「冷」

白川静『常用字解』
「形声。音符は令。説文に“寒きなり”とあり、寒冷の意味とする。“つめたい、さむい、ひえる、ひやす、さます”の意味に用いる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。しかし本項では令から会意的に説明していない。1903「令」では「深い儀礼用の帽子を被り、跪いて神託を受ける形。神の神託として与えられるものを令という」とあり、これでは冷の説明ができないのは当然であろう。
古典における用例から冷の意味を確かめるのが先決である。
 原文:暍者反冬乎冷風。
 訓読:暍者は冬に冷風を反(かへりみ)る。 
 翻訳:熱中症に罹った者は冬の寒い風をなつかしがるものだ――『荘子』則陽
冷はつめたい、寒いという意味。これを古典漢語ではlĕng(呉音でリヤウ、漢音でレイ)という。これを代替する視覚記号として冷が考案された。
冷は「令(音・イメージ記号)+冫(限定符号)」と解析する。令については1903「令」で述べたので、もう一度振り返る。
令は「亼+卩」に分析できる。これは会意文字であって象形文字ではない。 亼は△の形に三方から中心に向けて集めることを示す象徴的符号。卩はひざまずく人の形。二つを合わせた令は、三方から人が中央に集まってきてひざまずく情景を暗示させる。これは君主が人々を集めて命令を伝える場面を想定したもの。雑然と集まるのではなく、順序よく並ぶことが前提にあるから、令の図形でもって「▯-▯-▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージを表すことができる。人たちが順序よく並んでお告げを聞く場面から発想された図形が令である。一方、「▯-▯-▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージから別のイメージが発生する。形を崩さず整然と並ぶことは「形が美しく整っている」というイメージに結びつく。麗も「▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージから、「形がきれいである、うるわしい」というイメージに転じた。令は「▯-▯-▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージと、「美しく整っている」「澄んで清らかである」というイメーが同時に含まれる。後者のイメージから上記の②の意味が実現される。令のグループのうち零・齢・領・嶺は「▯-▯-▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージ、それ以外の冷・鈴・伶・玲などは「澄んで清らか」のイメージをもつ語群である。(以上、1903「令」の項)
このように令は「澄んで清らか」 「汚れがなく澄み切っている」というイメージがある。これは視覚的イメージであるが、水を念頭に置くと、共感覚メタファーによって、「つめたい」という触覚的イメージに転化する。これは漢語独特のイメージ転化パターンの一つである。青(きよらか)→凊(すずしい、さむい)、京(明るい)→涼(すずしい)などの例がある。冫は氷と関係があることを示す限定符号。したがって冷は氷のようにつめたいことを示す。

「礼」
旧字体は「禮」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は豊。豊は醴のもとの字で、醴は説文に“酒の一宿にして孰せるものなり”とあり、あまざけの類をいう。儀礼のときには醴酒を用いることが多く、醴酒を使用して行う儀礼を禮といい、“れいぎ、いや、うやまう”の意味に用いる」

[考察]
禮とは「醴酒を使用して行う儀礼」の意味だという。儀礼の礼とは何かの説明に「~をする儀礼」というのは同語反復で、礼の説明になっていない。いろいろな儀礼があるが甘酒を用いる儀礼と言っているだけである。示についての言及もない。不十分な字源説である。
形声の説明原理とは言葉の深層構造へ掘り下げ、コアイメージを捉えて意味を説明する方法である。白川漢字学説には言葉への視点がないから形声を説明する原理もない。だから会意的方法を取らざるを得ない。これでは字形をなぞるだけの解釈になってしまう。「あまざけを使用して行う儀礼」は字形の解釈に過ぎない。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説の全般的特徴である。
まず古典における禮の用例を見る。
①原文:相鼠有體 人而無禮
 訓読:鼠を相(み)れば体有り 人にして礼無し
 翻訳:ネズミには体があるけれど 人間なのに礼がないなんて――『詩経』鄘風・相鼠
②原文:道之以德、齊之以禮、有恥且格。
 訓読:之を道(みちび)くに徳を以てし、之を斉(ととの)ふるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格(ただ)し。
 翻訳:人民を徳で導き、礼で整えるなら、人民は廉恥を知って正しくなる――『論語』為政

①はきちんと順序よく整った作法の意味、②は社会的規範・慣習の意味で使われている。これを古典漢語ではler(呉音でライ、漢音でレイ)という。これを代替する視覚記号しとして禮が考案された。
禮の語源については「禮は體なり」「禮は履なり」「禮は理なり」などがある。理は「筋道が通る」というイメージ、履は「▯-▯-▯-▯の形に数珠つなぎに並ぶ、連なる」というイメージがある。禮は理や履に近く、「▯-▯-▯-▯の形にきちんと順序よく並ぶ」というイメージである。體(体)は骨格が順序よく組み立てられたものとしての「からだ」の意味で、禮とイメージが非常に近いが、體はterの音で、同源とまではいかない。
次に字源を見る。禮は「豊レイ(音・イメージ記号)+示(限定符号)」と解析する。豊レイは豐ホウとは別の字で、豆(たかつき)の上に供え物を盛りつけた情景である。これによって「形よく整う」というイメージを表す記号となる。図示すると▯-▯-▯-▯の形(縦に並んだ形)である。示は祭壇の形で、祭りや神に関係があることを示す限定符号。したがって禮は神前で行う整った儀式を暗示させる。この図形的意匠によって、物がちきんと整ったり、手順が順序よく整った行儀作法を表す。示の限定符号は図形的意匠を作る場面を設定する働きであって、禮の意味内容(意味素)には入らない。
常用漢字は礼の字体が採用された。礼は古文(戦国時代に存在した漢字の書体の一つ)に由来する。乚(乙)は札・軋・亂などに含まれ、「押さえる」というイメージがある。乱れやゆがみのないように押さえて整えることを、この符号で暗示し、きちんと整った作法を礼とした。

「令」

白川静『常用字解』
「象形。深い儀礼用の帽子を被り、跪いて神託を受ける人の形。神の神託として与えられるものを令といい、“神のおつげ、おつげ”の意味となり、天子など上位の人の“みことのり、いいつけ、いいつける”の意味となる。甲骨文字・金文では令を命の意味に用いており、令が命のもとの字である」

[考察] 
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。跪いて神託を受ける人の形(令)から「神の神託として与えられたもの」という意味が出たという。しかしこんな意味が令にあるだろうか。あり得ない。
また令と命は同字だというが、令はlieng、命はmiengの音であり、全く別語である。白川漢字学説には言葉という視座がなく、字形だけを見るので、令と命の区別が分からなくなる。
意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。意味は字形から出るのではなく、言葉の使われる文脈から出る。具体的な文脈における言葉の使い方が意味である。
令は古典で次のような文脈で使われている。
①原文:東方未晞 顚倒裳衣 倒之顚之 自公令之
 訓読:東方未だ晞(かわ)かず 裳衣を顚倒す 之を倒し之を顚す 公自(よ)り之を令す
 翻訳:東の露が乾かぬ頃 あわてて着る衣裳あべこべ 衣が下に裳が上に お上の急な指図のせいで――『詩経』斉風・東方未明
②原文:犯令者刑罰之。
 訓読:令を犯す者之を刑罰す。
 翻訳:おきてを犯す者は仕置きされる――『周礼』秋官・朝士
③原文:此令兄弟 綽綽有裕
 訓読:此の令(よ)き兄弟 綽綽として裕有り
 翻訳:仲の良い兄弟たちは 心がゆったりとゆとりあり――『詩経』小雅・角弓

①は指図する(言いつける、言いつけ、お達し)という意味、②はおきて、法の意味、③は清らかで美しいという意味で使われている。これを古典漢語ではlieng(呉音でリヤウ、漢音でレイ)という。これを代替する視覚記号として令が考案された。
令の語源を究明したのは藤堂明保である。藤堂は令および令のグループの一部(零・齢・領・嶺など)は粦のグループ(隣・憐・鱗など)や、麗・儷、歴・暦などと同源で「数珠つなぎ、○○○型」という基本義があるという(『漢字語源辞典』)。基本義とはコアイメージであり、これらの語群には「▯-▯-▯-▯の形に並ぶ」というコアイメージがあると言い換えてよい。これは順序よく並ぶというイメージでもある。命令(指図)にはA→B→C→Dというぐあいに順序よく伝わるというイメージがある。だから上位から下位に下される命令(指図、言いつけ、お告げ、お達し)をliengという語で呼ぶのである。ちなみに英語のorderはラテン語のordo(順序正しく一直線に並んだものの意)に由来し、「上司や上官など、一般に上の位にある者からの命令、指令、指示」の意味という。これは漢語の令の語源と似ている。
上記の①の意味をもつ古典漢語liengを表記するための図形が令である。令は「亼+卩」に分析できる。これは会意文字であって象形文字ではない。 亼は△の形に三方から中心に向けて集めることを示す象徴的符号。卩はひざまずく人の形。二つを合わせた令は、三方から人が中央に集まってきてひざまずく情景を暗示させる。これは君主が人々を集めて命令を伝える場面を想定したもの。雑然と集まるのではなく、順序よく並ぶことが前提にあるから、令の図形でもって「▯-▯-▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージを表すことができる。
人たちが順序よく並んでお告げを聞く場面から発想された図形が令である。一方、「▯-▯-▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージから別のイメージが発生する。形を崩さず整然と並ぶことは「形が美しく整っている」というイメージに結びつく。麗も「▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージから、「形がきれいである、うるわしい」というイメージに転じた。令は「▯-▯-▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージと、「美しく整っている」「澄んで清らかである」というイメーが同時に含まれる。後者のイメージから上記の②の意味が実現される。令のグループのうち零・齢・領・嶺は「
▯-▯-▯-▯の形に順序よく並ぶ」というイメージ、それ以外の冷・鈴・伶・玲などは「澄んで清らか」のイメージをもつ語群である。
白川は「令は神のお告げを受け、神意に従うことから、“よい、りっぱ”の意味となる」と述べているが、言葉の深層構造とは関係のない迂遠な意味展開の説明である。

「類」
正字(旧字体)は「類」である。

白川静『常用字解』
「会意。米と犬と頁とを組み合わせた形。頁は儀礼のときの衣冠を整えた姿である。米と犠牲の犬を供え、礼装して拝む形が類で、天を祭る祭りの名である」

[考察]
『説文解字』に「犬に従ひ、頪の声」とあるように、頪という字が存在し、類はこれを音符とするというのが通説。しかし白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴で、本項では「米+犬+頁」の会意文字としている。しかも頁を「儀礼のとき衣冠を整えた姿」という特殊な解釈をするため、犬は犠牲の動物、米は供物となり、類は宗教用語と解釈される。確かに類は祭りの名という特殊な意味もあるが、その前に類は普通の言葉であった。古典における類の用例を見る。
 ①原文:貪人敗類
 訓読:貪人類を敗る
 翻訳:欲深い人が仲間を損なう――『詩経』大雅・桑柔
②原文:威儀不類
 訓読:威儀類せず
 翻訳:威儀はふさわしくない――『詩経』大雅・瞻卬
①は似た特徴をもつ仲間の意味、②はそれらしくよく似ている意味で使われている。 これを古典漢語ではliuəd(liui。呉音・漢音でルイ)という。これを代替する視覚記号として類が考案された。
類は「頪ルイ(音・イメージ記号)+犬(限定符号)」と解析する。頪について朱駿声は「頁に従ひ米の声。相似て分別し難きを謂ふ」(『説文解字通訓定声』)と述べ、段玉裁は「頪・類は古今の字」(『説文解字注』)と述べている。
頪は「米(イメージ記号)+頁(限定符号)」と解析する。米は「こめ」の意味だが、実体に重点があるのではなく形態に重点がある。米は小さな粒状をなすから、「細かく分散する」というコアイメージがある。このイメージは「細かくて見分けがつかない」というイメージにも転化する(1760「迷」を見よ)。頁は頭部や人体、また人に関係があることを示す限定符号。したがって頪は紛らわしいほど似ていて見分けがつかない者同士を暗示させる。犬は比喩的限定符号である。頪にこの限定符号を添えて、犬のように互いに似ていて区別がつかないもの、あるいは特徴のよく似た仲間同士を暗示させる。この意匠によって上記の①②の意味をもつliuədを表記した。
白川は類を祭りの名とするため、なぜ種類や類似の類の意味になるのか説明できない。仮借説を取るほかはないだろう。

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