「偵」

白川静『常用字解』
「形声。音符は貞。貞は鼎を使って占い、神意を問いうかがうことをいい、“人の動きをうかがう、さぐる”ことを偵という」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説く特徴がある。貞(鼎を使って占い、神意を問いうかがう)+人→人の動きをうかがう、さぐるという意味を導く。
会意の手法はAの意味とBの意味を足した「A+B」をCの意味とするものである。これに対し形声の説明原理とは、言葉の深層構造に掘り下げ、コアイメージを捉え、語源的に意味を説明することである。ただしその意味は具体的文脈から知るのであって、勝手にでっち上げるのではない。まず古典における用例を調べ、なぜその意味があるのかを語源的に説明することである。
偵は次の用例がある。
 原文:偵而輕之。 
 訓読:偵(うかが)ひて之を軽んず。
 翻訳:[敵軍を]探った結果、それを軽視した――『史記』大宛列伝
偵はひそかに様子をうかがい探る意味で使われている。これを古典漢語ではtieng(呉音でチヤウ、漢音でテイ)という。これを代替する視覚記号しとして偵が考案された。
偵と貞は同源である。貞と聴は同源である。聴は「まっすぐ」というコアイメージがある。まっすぐに耳を傾けて聴くのが聴(テイ・チョウ)という言葉である。同様に、占いをしてまっすぐに神意を当てる(神意を問う)行為が貞である。また、分からないことにまっすぐ目を向けて様子を探る(うかがう)ことが偵察の偵である。これらに共通するのは「まっすぐ」というコアイメージである。
次に字源を見る。偵は「貞(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。貞は1320「貞」で述べたように、「鼎テイ(音・イメージ記号)+卜(限定符号)」と解析する。鼎は実体に重点があるのではなく形態に重点がある。鼎の形態的特徴は三本足で立って安定することにある。ここに「↑の形にまっすぐに立つ」というイメージがある。視点を上から下の方向に換えると「↓の形に(地面に)まっすぐに当たる」というイメージになる。いずれも「まっすぐ」のイメージである。占卜によって神意をまっすぐに当てることが貞の図形的意匠である。鼎(かなえ)とは関係がなく、「神意を問う」という意味をもつ言葉tiengを貞で表記する。
偵もtiengという音をもつ言葉で、貞との同源意識から生まれた。しかし「神意を問う」という意味とは直接(表面的)の関係はなく、上記の通り「ひそかに様子をうかがい探る」という意味である。貞と偵は表面的な意味のつながりはないが、深層構造に掘り下げると、関係がでてくる。それは上で述べたように「まっすぐ」「まっすぐ当たる」というコアイメージである。貞の表層の意味(神意を問う)ではなく、「まっすぐ」「まっすぐに当たる」という深層のイメージだけを利用する。これに限定符号の人(人と関係のある状況を設定する)を添えて、あるもの(対象、目標)にまっすぐ目を向けてそれの様子を探り当てる情景を作り出す。これが偵の図形的意匠である。この意匠によって上記の意味をもつtiengを表記するのである。