「程」

白川静『常用字解』
「形声。呈はᄇ(祝詞を入れる器の形)を高く掲げて神に捧げることをいい、その意味を含むとすれば、禾は稲・穀物であるから、豊作を神に祈る意味となる」

[考察]
形声の説明原理がなく会意的に説き、字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。呈(祝詞の器を高く掲げて神に祈る)+禾(稲・穀物)→豊作を神に祈るという意味を導く。
呈に「祝詞を入れる器を高く掲げて神に捧げる」という意味があるだろうか。程に「豊作を神に祈る」という意味があるだろうか。呈についての疑問は1312「呈」ですでに指摘した。呈は「内容を表面にまっすぐに現し示す」という意味であって、「祝詞を入れる器を高く掲げて神に捧げる」という意味はあり得ない。そのような意味は字形から無理に引き出した意味、つまり図形的解釈に過ぎない。図形的解釈と意味を混同するのが白川漢字学説の特徴である。
程にも上のような意味はない。意味とは具体的文脈に使われる、その使い方である。古典における程の用例を見てみる。
①原文:程能授事。
 訓読:能を程(はか)りて事を授く。
 翻訳:能力を図って仕事を授ける――『韓非子』八説
②原文:哀哉爲猶 匪先民是程
 訓読:哀しい哉猶(はかりごと)を為すに 先民を是れ程とするに匪(あら)ず
 翻訳:情けないよ 計画を立てるのに 先人を手本にしないとは――『詩経』小雅・小旻

①は重さ・長さなどを量る意味。ここでは比喩的に使われている。②は基準・法測・手本の意味。ここでは動詞として使用。これらの意味をもつ古典漢語をdieng(呉音でヂヤウ、漢音でテイ)という。これを代替する視覚記号しとして程が考案された。
程は「呈(音・イメージ記号)+禾(限定符号)」と解析する。呈については1312「呈」で述べたが、もう一度振り返る。
呈は「𡈼(テイ)(音・イメージ記号)+口(限定符号)」と解析する。𡈼は1033「聖」、1297「聴」で述べたように、人がかかとを上げ背伸びして立つ情景である。この意匠によって「↑の形にまっすぐ伸びる」というイメージを示す記号とする。視点を変えれば↑の形は→の形でも←の形でもよい。ともかく「まっすぐ(直線的で曲折がない)」というイメージを示すのがAである。口はくちや言葉と関係があることを示す限定符号。限定符号は範疇を示したり、意味領域を限定したり、そのほか図形的意匠を設定するための場面作りの働きをする。呈は言葉と関係のある場面が設定されて意匠(図案、デザイン)が作られる。それは、言葉で内容をまっすぐに表現するという場面(状況・情景)である。これが呈の図形的意匠である。図形的意匠はそのまま意味ではない。意味は言葉の意味、文脈で使われる意味である。要するに、「内容を表面にまっすぐに現し示す」という意味をもつdiengという言葉を呈と表記するのである。進呈や献呈の呈は「差し出す」という意味だが、これは「まっすぐに現し示す」という意味から「まっすぐに相手に物を差し出す」と転義したものである。白川は転義を本義として「ᄇを高く掲げて神に呈示する」としたが、こんな意味はあり得ない。(以上、1312「呈」の項)
このように呈は「まっすぐ現し示す」というイメージをもつ記号である。禾は稲・穀物に関わる場面を設定するための限定符号。したがって程は穀物をはかりにかけて、ストレートに内容(重さや容積)を現し示す情景を設定した図形と解釈できる。この図形的意匠によって、上記の①と意味をもつdiengを表記する。
「重さ・長さなどを量る(計る)」という具体的な意味から抽象的な意味に転じた。計量の前提には目盛り、尺度がある。ここから基準になるもの、法測や手本という意味が生まれる。最古の古典である『詩経』ではすでに抽象的な意味で使われている。規程の程はこの意味。ついで、基準を設けて比べられる大小・優劣の度合という意味に転じる。これが程度の程。さらに、目盛りのように区切ることから、順々に区切りをつけて行う仕事の量の意味を派生。これが工程の程。また、一つ一つ区切りつつ進行するもの(道のり、コース)の意味を派生。これが課程の程。このように意味が展開していく。「豊作を神に祈る」という白川説では本義だけでなく転義の説明もできない。