「適」

白川静『常用字解』
「形声。音符は啇。啇は帝と口(ᄇで、祝詞を入れる器の形)とを組み合わせた形で、祝詞を唱えて上帝を祀る条件をそなえた身分の者をいい、嫡のもとの字である。上帝の子孫として、祭る条件にあてはまる、条件に“かなう、あたる” ことを適という」

[考察]
啇に「祝詞を唱えて上帝を祀る条件をそなえた身分の者」という意味があるだろうか。1257「嫡」では「啇は帝を祀る禘祭をとり行うことができる者は帝の直系であったので、啇はあとつぎ、よつぎの意味」とあるが、啇にそんな意味はない。だいたい帝の直系とは何のことか。帝は上帝で、天の神である。天の神の子孫など現実にはあり得ない。天神の子孫だと称している者のことであろうか。それにしても啇に「天の神を祭る者のあとつぎ」という意味はあり得ない。本項では「上帝を祀る条件をそなえた身分の者」だという。「条件をそなえた」が新たに加えられている。これは適の意味を予想して「条件をそなえた」と言っているだけに過ぎない。適に「上帝の子孫として、祭る条件にあてはまる」といった意味もあり得ない。適は辵(辶)も構成要素である。辵(行く)なのになぜ「あてはまる」の意味になるのか。これも変である。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法であるが、恣意的な解釈が目立つ。しかも図形的解釈と意味の区別が混沌としている。両者を混同しているといってもよい。
意味は「言葉の意味」であって字形から出るものではない。文脈から出るものである。適の使われる古典の文脈に当たるのが先決である。
①原文:適彼樂土
 訓読:彼の楽土に適(ゆ)かん
 翻訳:あの楽しい土地に行こう――『詩経』魏風・碩鼠
②原文:誰適爲容
 訓読:誰に適(むか)ひて容を為さん
 翻訳:誰のためにお化粧しようか――『詩経』衛風・伯兮
③原文:適我願兮
 訓読:我が願ひに適(かな)へり
 翻訳:私の願いにかないました――『詩経』鄭風・野有蔓草

①はある所をめざして行く意味、②は向き合う意味、③はぴったり合う(あてはまる)意味で使われている。これを古典漢語ではthiek(呉音でシャク、漢音でセキ)という。これを代替する視覚記号しとして適が考案された。ちなみに*tek(呉音でチャク、漢音でテキ)と読む場合もあるが、この場合は適子(=嫡子)の意味。
辵(行く)はだてにつけられていない。①の意味と関連するから辵がついている。白川は③を本義としたが、間違いで、①が本義(最初の意味)である。
適は「啇テキ(音・イメージ記号)+辵(限定符号)」と解析する。啇については1336「滴」から再び引用しよう。
啇を分析すると「帝(音・イメージ記号)+口(限定符号)」となる。帝にコアイメージの源泉がある。1321「帝」で述べたように「いくつかのものを締めくくって一つにまとめる」というイメージである。複数のものが一本化すると、「線条をなす」「直線状、まっすぐ」というイメージが生まれる。線条(直線状)に方向性を与えると→の形のイメージになる。←の方向でも、↑の方向でも同じである。これらは「まっすぐ」「まっすぐ向かう」のイメージである。一方、→の形が連鎖すると→→の形、また→と←が組み合わさると→←の形になる。前者は「点々と連なる」のイメージ、後者は「向き合う」のイメージである。イメージは連合し、展開、転化していくものである。
啇は帝のイメージから展開する。啇の表すイメージを整理すると
(1)いくつかのものを締めくくってまとめる
(2)線条をなす、まっすぐ、まっすぐ向かう
(3)点々と一筋に連なる
(4)→←の形に向き合う
これらは「締めくくる(一本化する)」→「まっすぐ」というイメージ転化から連合・発展するイメージである。(以上、1336「滴」の項)
適では啇の(2)「まっすぐ向かう」のイメージが用いられている。辵は進行・歩行に関係があることを示す限定符号。したがって適はある方向(目的地・目標)に向かとってまっすぐに進んで行く状況を表す図形である。
一方、啇には(4)のイメージもある。だから上記の②③の意味、→←の形に向き合う、また、→←の形にぴったり合うという意味を派生する。
以上によって適の意味、またその語源・字源も明白になった。