「迭」

白川静『常用字解』
「形声。音符は失。失は巫女が手足をあげて舞い踊る形で、我を忘れてうっとりとした状態になることをいう。巫女が、あるいは低く、あるいは高く激しく舞うことを迭といい、“たがいに、かわるがわる” の意味となる」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。失は巫女が舞う形で、低く舞ったり、高く舞ったりすることから「たがいに」という意味が出たという。
失を「巫女が手足をあげて舞い踊る形」とするのが奇抜である。そんな形にはとうてい見えない。747「失」では我を忘れてうったりすることから、失は「気を失う」という意味になったという。失に気絶するといった意味はあり得ない。本項では迭は「たがいに」の意味だという。「気を失う」と「たがいに」は何の関係があるのか。失から迭の意味が出るはずだが、理解しがたい解釈である。
迭の意味の取り方も変である。迭に「巫女があるいは低く、あるいは高く激しく舞う」という意味があるだろうか。これは図形の解釈を述べただけであろう。図形的解釈と意味を混同するのが白川漢字学説の全般的特徴である。
古典における迭の用例を調べ、意味を確定し、それから字源を説明するのが順序である。
古典に次の用例がある。
①原文:日居月諸 胡迭而微
 訓読:日よ月よ 胡(なん)ぞ迭(かは)りて微かなる(居・諸はリズム調節の語)
 翻訳:日よ月よ なぜ次々に暗くなる――『詩経』邶風・柏舟
②原文:迭爲賓主。
 訓読:迭(かはるがは)る賓主と為る。
 翻訳:かわりばんこに客になったり主人になったりする――『孟子』万章下

①は交替する意味、②は互いに入れ代わってという意味で使われている。これを古典漢語ではdet(呉音でデチ、漢音でテツ)という。これを代替する視覚記号しとして迭が考案された。
交替するというのはAの位置にBが来ることである。Aから見るとA→Bの形、Bから見るとB→Aの形に入れ代わる。入れ代わりを図示するとA⇄Bの形になる。これは交差のイメージであり、「互い違い」と表現できる。
字源を見る。迭は「失(音・イメージ記号)+辵(限定符号)」と解析する。失については747「失」、1253「秩」で述べているが、もう一度振り返る。
失を分析すると「手+乀」となる。乀は横にずれていくことを示す符号である。失は手から何かが横にずれて滑り落ちる情景を設定した図形である。この図形的意匠によって、あるべきものがするりと抜けてなくなる(取り逃がす)ことを意味するthietを表記する。(以上、747「失」の項)
古典の注釈に「秩は次なり。次を以て進御するなり(順序通りに進める)」とある。これを図示すると▯→▯→▯→の形である。A→B→Cと順々に進む(移っていく)イメージである。これはA・B・Cが列を乱さずにくっついて並ぶ状態でもある。昔の書物は和綴じ本で、一巻、二巻の順に函に収める。この函のことを帙チツという。帙は秩の「順々に並ぶ」というイメージを受け継いだ言葉である。秩は「失(音・イメージ記号)+禾(限定符号)」と解析する。失は「横にずれていく」というイメージがある(747「失」を見よ)。「横にずれていく」は順序をなしているわけではない。しかし横への線条的な移動であるから、A→Bという移動を表現できる。これが連鎖するとA→B→C→Dというぐあいに横に進む。このイメージが利用される。禾は稲に関係があることを示す限定符号で、農作物の場面を設定する。刈り取った稲を乱雑に置かないで、一本一本、あるいは一束一束ずつ、横に並べる場面である。これが秩の図形的意匠である。(以上、1253「秩」の項)
以上のように失は「横にずれていく」というイメージから、「A→Bの形に場所を移す」というイメージに展開する。これは場所がAからBに入れ代わったと見ることができる。したがって迭はAが抜けた後にBが来る、入れ代わるということを表す図形と解釈できる。