「哲」

白川静『常用字解』
「形声。音符は折。折は草木を斤で切ることをいう。草木を切断することや矢を折ることは神に誓うときの所作である。哲のもとの字と思われる悊の金文には、神の梯の形(阜) に斤を加えている形があり、それは神の梯を斤で作るの意味であろう。神に誓ったり、神の梯を作って神の降りたつのを迎えるときの心を哲(悊)といい、“さtろ、さとい、かしこい”の意味となる。

[考察]
いろいろな疑問がある。①草木を切断することが、なぜ神に誓うときの所作なのか。②神の梯とはいったい何のことか。神が天から上り下りする梯らしいが、こんなものが実在するのか。「阜+斤」で神の梯を作るという意味になるのか。③哲に「神に誓ったり、神の梯を作って神の降りたつのを迎えるときの心」という意味があるのか。このような心がなぜ「さとる、さとい」の意味になるのか。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法であるが、全く恣意的な解釈である。図形的解釈と意味を混同し、あり得ない意味を導いている。 
意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。言葉の使われる具体的文脈から出るものである。哲の古典における用例を見てみよう。
 原文:既明且哲 以保其身
 訓読:既に明にして且つ哲なり 以て其の身を保つ
 翻訳:明察の上に知恵があり 己の身を大事に守る――『詩経』大雅・烝民
哲は物事をよく理解し知恵があるという意味で使われている。これを古典漢語ではtiat(呉音でテチ、漢音でテツ)という。これを代替する視覚記号しとして哲が考案された。
哲は「折(音・イメージ記号)+口(限定符号)」と解析する。折は「途中で断ち切る」「二つに切り分ける」というイメージがある(1058「折」を見よ)。口は言語行為と関係があることを示す限定符号。したがって哲は物事の善し悪しをずばりと切り分けることを暗示させる図形と解釈できる。日本語でも「わかる」は分割の意味から、理解の意味に転じる。漢語も同様である。漢語では理解することから知恵があるという意味に展開する。王引之(近代中国の古典学者)は『書経』にある哲人に対する注釈で、「哲は折の意味を含む。折は制(断ち切る)と同源である」といった趣旨を述べている。