「典」

白川静『常用字解』
「会意。冊と丌とを組み合わせた形。冊はもと柵の形であるが、竹簡・木簡を編んだ形が柵と似ているので、書物の意味に用いる。丌は物置き台の形。机の上に書物を置く形が典で、“ふみ、書物”の意味となる」

[考察]
白川は655「冊」の項で、冊は柵の原字で、冊は柵の意味、また檻の扉の意味とし、書物の意味に用いるのは柵と形が似ているからだという。しかし最初から冊は竹簡・木簡を綴じたもの(古代の書物)の意味である。柵はそれと形が似ているから生じた語である。冊→柵の筋道が歴史的であり、その逆ではない。
典は台の上に冊を載せた図形である。字形から意味を導くと白川のいう通り「ふみ、書物」の意味になるだろう。そうすると典と冊は同じ意味になってしまう。これでは何のために典が作られたのか分からない。
字形だけを相手にすると言葉が分からなくなる。冊と典は何が違うのか。 ここで言葉を視点に置く語源的検討が必要になる。
『釈名』(漢代の語源辞典) では「典は鎮なり」と語源を説いている。鎮は文鎮・重鎮の鎮で、押さえになるものである。人々を鎮定し教化するための基準になるものといった解釈である。行動の指針になるものが古典であり法典である。『書経』では次のように典が使われている。
 原文:有典有則、貽厥子孫。
 訓読:典有り則有り、厥(そ)の子孫に貽(おく)る。 
 翻訳:古典があり法があるから、それを子孫に残す――『書経』五子之歌
典は殿や敦などと同源の語である。これらは「ずっしりと重い」というイメージがある。重みのある大切な書物、古人の教えを説いた貴重な書物という意味をもつ古典漢語がtuənであり、これを典と書くのである。古典とはまさにこれである。単なる冊(書物)ではなく、基準・手本として押し戴く書物である。だから基準・手本となるものという意味(典拠の典)、常に変わらぬ法測の意味(法典の典)、基準にのっとって進める儀式の意味(式典の典)などに展開する。