「投」

白川静『常用字解』
「会意。手と殳とを組み合わせた形。杸は槍に似た武器のほこで、長さ二尺余りの杖ぼこ。几は鳥の羽であるから、杖ぼこには鳥の羽飾りをつけたものであろう。杸のもとの字が殳である。殳(杖ぼこ)を手に持って扱うことを投といい、杖ぼこで邪霊を殴ち祓うことをいう」

[考察]
「几(鳥の羽)+又(手)」でなぜ杖ぼこの意味になるのか分からない。また、杖ぼこを手に持って扱うことが、なぜ邪霊を打ち祓う意味になるのか分からない。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法であるが、字形の解釈も意味の取り方も納得がいかない。意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。言葉の使われる文脈から出るものである。文脈にないような意味は意味とは言えない。投に「杖ぼこで邪霊を殴ち祓う」という意味があるだろうか。そんな意味はいかなる文献にも見当たらない。
古典における投の用例を見てみる。 
①原文:取彼譖人 投畀豺虎
 訓読:彼の譖人シンジンを取りて 豺虎に投げ畀(あた)へよ
 翻訳:あの嘘つきを捕まえて 猛獣に投げてしまえ――『詩経』小雅・巷伯
②原文:投我以木瓜 報之以瓊琚
 訓読:我に投ずるに木瓜を以てす 之に報ゐるに瓊琚を以てす
 翻訳:彼女が贈るボケの実に 帯のルビーがその返し――『詩経』衛風・木瓜

①は放りなげる意味、②はなげ与える意味で使われている。これを古典漢語ではdug(呉音でヅ、漢音でトウ)という。これを代替する視覚記号しとして投が考案された。
①は物を空中を通って目的の所へ放ることであるが、②はこれとは意味が違う。必ずしも放りなげることではなく、相手に届くように物を与えることである。投薬、投票、投宿などの投は「なげる」ではない。投薬の投は体内に入れること、投票の投は入れて目的の所に収まるようにすること、投宿の投は身を寄せて宿の中に止まるようにすることである。投の根源の意味・イメージは何か。これは語源の問題である。これを解明したのは藤堂明保である。藤堂は投を豆のグループ(豆・頭・逗・豎)、主のグループ(主・柱・住・注)、壴のグループ(尌・樹)、蜀のグループ(属・嘱・触)、𧶠のグループ(読・続・黷)などと同じ単語家族にくくり、これらはTUG・TUKという音形と、「じっと立つ」という基本義があるという(『漢字語源辞典』)。
このようにdugという言葉のコアイメージは「じっと立つ」であると考えてよい。「じっと立つ」は「じっと止まる」でもある。この状態をもたらす行為の一つが「なげる」なのである。原因(なげる)と結果(じっと立つ・じっと止まる)を入れ換える換喩のレトリックが働いてdugという言葉が「なげる」という意味を実現するのである。ただし原因は「なげる」だけではない。また「じっと立つ」「じっと止まる」という結果には場所も必要である。それは「一定の枠」のイメージである。枠の中に収まることによって「じっと立つ」「じっと止まる」というイメージがはっきりする。かくて投の基本的・中心的な意味は、「物を投げたり、差し出したり、寄せたりして、一定の枠の中に収まるようにする」と記述することができる。原因に視点を置くと「放りなげる」「なげ入れる」「差し出す」「身を寄せる」などさまざまな意味になり、結果に視点を置くと「ぴったりはまり込む」という意味になる。意気投合の投がこれである。
以上は語源の視座から考えた。次は字源の問題である。
投は「殳シュ(音・イメージ記号)+手(限定符号)」と解析する。殳は白川がいう通り杸の原字とするのが通説。杸とは戦車の前に立てる「ほこ」のことである。殳は全体が立てほこを手で立てて持つ図形と考えてよい。ただし実体に重点があるのではなく形態や機能に重点を置くのが漢字の造形原理である。殳が「じっと立てる」というイメージを表す記号になりうることは容易に分かる。「⏊の形にじっと立つ」というdugのコアイメージを殳で表すのである。手は動作・行為に関わることを示す限定符号。したがって投はじっと立てて止めて置く状況を暗示させる図形である。「なげる」という意味を字形から引き出すのは無理である。語源的探求があって初めてなぜ「なげる」の意味に用いられるかが判明するのである。