「東」

白川静『常用字解』
「仮借。もと橐ふくろの形。上下を括って袋の形にしたものであるが、袋の意味に使われることはなく、方位の名の“ひがし” の意味に用いる」

[考察]
東は袋の形で、「ひがし」の意味は仮借だという。字形の解釈で終わってしまい、意味論的検討を放棄している。
いったい仮借とは何か。aを意味する文字(例えばA)がないとき、bを意味する文字Bを借りてAの代わりとするということであろう。「ひがし」を意味する文字がないので、袋を意味する「東」を借りて「ひがし」の意味にしたというのであろう。しかし甲骨文字ですでに東は「ひがし」という方位を表している。一般に仮借説は成り立たない。
仮借説に逃げて意味論的考察を放棄するのは、字形の解剖が悪くて、意味と結びつかない(解釈できない)からである。また字形にこだわって言葉という視点から見ない、つまり語源を考えないからでもある。
「字形→意味」の方向ではなく「意味→字形」の方向に発想を切り換える必要がある。つまり言葉から出発する。「ひがし」を意味する古典漢語はtung(殷代もこれに似た音と考えられる)であり、これを代替する視覚記号として東が考案された。東はどんな図形か。東を袋の形とするのは定説になっている。白川は上下を括った袋というが、心棒が通っていることを見落としている。ここが重要なポイントである。実体に重点があるのではなく形態や機能に重点を置くのが漢字の造形原理である。心棒を通した袋の形態に重点を置き、「突き通す」というイメージだけを取るのである。なぜかというとtungという語のコアイメージを表現するための工夫だからである。
tungという言葉は通・同・重・童などと同源の言葉で、これらはすべて「突き通す」「突き通る」という共通のコアイメージをもつ。これを解明したのは藤堂明保である。
この語源説を踏まえると、なぜ「ひがし」を東という図形で表現したかが明らかになる。古典漢語の方位の名の由来は太陽と関係がある。古代では太陽は海(神話では暘谷という谷)から通って出てくると考えられた。「突き通る」「通り抜ける」というイメージによってtungという方位の名が生まれたのである。ちなみに日本語の「ひがし」はヒムガシの転化で、ヒ(日)+ムカ(ムカフのムカ)+シ(方向の意)で、「日に向かう方向の意」だという(『古典基礎語辞典』)。また英語のeastはaurora(あけのぼの女神)と関係があり、日が昇って明るくなることに由来するという(『英語語義語源辞典』)。方位の起源(少なくとも「ひがし」)には普遍性があるらしい。