「桃」

白川静『常用字解』
「形声。音符は兆。兆は卜兆の形。説文に“果なり” とあり、“もも”をいう」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では兆から会意的に説明できていない。「桃は鬼を祓う力があるものとされ・・・」とあるが、卜兆と何の関係があるのか分からない。
桃は語史が非常に古く、次の用例がある。
 原文:桃之夭夭 灼灼其華 之子于歸 宜其室家
 訓読:桃の夭夭たる 灼灼たり其の華 之(こ)の子于(ここ)に帰(とつ)ぐ 其の室家に宜しからん
 翻訳:モモは若いよ 照り映える花 この子嫁いで 良き嫁たらん――『詩経』周南・桃夭
桃がモモであることはいかなる疑問もない。なぜモモを古典漢語でdɔgといい、桃という視覚記号が考案されたのか。
植物の命名は形態的な特徴や用途などに基づくことが多い。モモの果実は割れたような溝があるのが特徴である。日本語で「桃割れ」というヘアスタイルがある。これはモモの果実を比喩にしている。古典漢語でもこの特徴を捉えてモモをdɔgといい、桃と書くのである。なぜかというと兆およびそのグループの言葉に「二つに割れる」というコアイメージがあるからである。1276「兆」から再引用する。
兆をもとにしたグループ(専門的には諧声語群)には「二つに割れる」という基本義があると指摘したのは藤堂明保である(『漢字語源辞典』)。「二つに割れる」は図示すると←・→の形である。占いは吉か凶かに分ける行為である。だから←・→の形のイメージがある。このようなイメージをもつ言葉を古典漢語ではTOGというような音形で呼ぶ。うらないをdiogというのはここに淵源がある。うらないをdiogといい、その視覚記号を兆とした理由もこれで説明できる。兆は割れ目の図形で、←・→の形のイメージを表すことができるからである。「うらない」の兆だけではなく、兆のグループ(逃・跳・眺・挑・桃など)はすべてこれで説明できる。(1276「兆」の甲)
これでなぜモモをdɔgといい、桃と書くかの理由が明らかになった。