「盗」
正字(旧字体)は「盜」である。

白川静『常用字解』
「会意。㳄は水と欠とを組み合わせた形で、口を開けて立っている人が口からよだれを垂らしている形で、涎のもとの字。皿はおそらくもと血に作り、盤中に血が入っている形。血盟のとき、盤中の血の中に涎を垂らす形が盜で、血盟を汚し、血盟に叛くという意味となる」

[考察]
字形の解剖にも意味の取り方にも疑問がある。皿は皿(さら)であって、血ではない。皿を無理に血に替えるのはおかしい。 だから盜を「盤中の血に涎を垂らす形」と解釈するのもおかしい。いったい血に涎を垂らすとはどういうことか。血に涎を垂らすことが盟約に背く行為であろうか。証拠も何もない話である。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。盜は血に涎を垂らす字形から、「血盟を汚し、血盟に叛くという意味」を導く。しかしこんな意味が盜にあるだろうか。古典における用例を見るのが先決である。
①原文:職盜爲寇。
 訓読:職として盗みて寇を為す。
 翻訳:[官吏たちは]専ら盗みばかりして人を害する――『詩経』大雅・桑柔
②原文:君子信盜。
 訓読:君子は盗を信ず。
 翻訳:君子は泥棒を信じている――『詩経』小雅・巧言

①は他人の物をひそかにぬすむ意味、②は盗人の意味で使われている。これを古典漢語ではdɔg(呉音でダウ、漢音でタウ)という。これを代替する視覚記号しとして盜が考案された。
盜は「㳄+皿(さら)」と分析する。㳄は白川の言う通り涎の原字で、「よだれ」である。皿は飲食物を入れるさら。よだれと皿の組み合わせから「ぬすむ」の意味は出てこない。だから白川は皿を血に読み換えたのであろうが、これはトリックである。だいたい字形から意味が出るという考えがおかしいのである。意味を字形にどう表したかを考えるべきである。つまり「字形→意味」の方向ではなく「意味→字形」の方向に漢字を見るべきである。
盜の意味は上記の通りである。ではなぜdɔgという語を盜という図形で表記したのか。窃盗の心理を図形で表そうとしたのである。つまり他人の物を欲しがるという心理である。これを表現するために具体的な状況として、皿のものを欲しがってよだれを垂らす場面を想定して、盜が作られたのである。図形的解釈と意味は同じではない。よだれと皿から「皿によだれを垂らす」の意味にはならない。同じ伝で、皿を血に替えて「血によだれを垂らす」という意味にもならない。よだれも皿も、まして血も、「ぬすむ」とは意味上の関係はない。