「屯」

白川静『常用字解』
「象形。織物の縁の糸を結びとめた房飾りの形。織物の縁の糸を結びとめることから、“あつまる、たばねる、たむろする”の意味となる。屯は純のもとの字」

[考察]
849「純」の項では「純は織物の糸のとどまるところ、房飾りをいう」とある。房飾りはフリルのようなものであろう。これは分かるが、「織物の糸のとどまるところ」というのが分からない。衣の裾のことであろうか。だとするとなぜ裾の意味から「房飾り」の意味になるのか分からない。
また「織物の縁の糸を結びとめることから、“あつまる、たばねる、たむろする”の意味となる」というが、これも分からない。織物の縁の糸を結びとめるところは裾なのか房飾りなのか。房飾りは糸を集めたものだから、「あつめる」の意味になるのか。しかし「織物の糸を結びとめたところ」=「房飾り」にはならないだろう。意味の展開が不自然である。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。ここには言葉という視点が欠けている。意味は言葉に属する概念であって、字形に属するものではない。意味を求めるには言葉の使われる文脈を見る必要がある。古典における屯の用例を見てみよう。
①原文:夫屯晝夜九日。
 訓読:夫フ、屯すること昼夜九日。 
 翻訳:人夫が集まって九日間昼も夜も仕事した――『春秋左氏伝』哀公元年
②原文:屯如邅如。
 訓読:屯如チュンジョたり、邅如テンジョたり。 
 翻訳:足が重くて行き悩む――『易経』屯

①は多くの人や兵士が集まる(たむろする)という意味、②は行き悩むという意味に使われている。古典漢語では①をduən(呉音でドン、漢音でトン)、②をtıuən(呉音・漢音でチュン)という。これらを代替する視覚記号しとして屯が考案された。
①と②は意味が懸け離れているが、音が似ており、コアイメージも似ている。このイメージを捉えればなぜ①②の二つの意味があるかが納得されよう。
字源からヒントを求める。屯は春という字の構成要素になっているから、これに着目する。春の本字は萅で、「艸(くさ)+屯+日」からできている。屯の解釈については842「春」で述べたから再掲する。
春は屯にコアイメージの源泉がある。屯は地下に根が蓄えられ、芽が地上に出かかる情景を図にしたもの。屯は「中にずっしりとこもる」というイメージを表す記号になる。春は「屯(音・イメージ記号)+艸(=草。イメージ補助記号)+日(限定符号)」を合わせて、地下にこもっていた植物がやっと活動し始める情景を暗示させる図形である。(842「春」の項)
このように屯は春先の植物の状態を想定した図形で「中にずっしりとこもる」というイメージを表すための記号である。地下にこもるのは多くのものが集まった状態であるから、「多くのものが集まる」というイメージもある。また地下にこもる状態は上から力が加わるので「(圧力がかかって)ずっしりと重い」というイメージを表すこともできる。前者のイメージから上の①の意味が実現される。また、後者の「ずっしりと重い」というイメージから、足が重くて進みにくいという意味が実現される。これが上の②である。実現される意味内容が懸け離れているので①と②は音を少し変えた別語となった。